Cauldron理論に取り組む

眠い、でも元気にしてますよー。

さぼってますけど、続けますよ。

今日ですね、Porter教授から、論文の翻訳許可が出ました、イェホ~。冬の間は、ひたすら翻訳しよう。

色んな人に、チェックをお願いしないといけなくなると思うのですが、翻訳したものの品質が受け入れられたら、恐らくBIOLA大学のサイトから日本語バージョンとしてダウンロード出来るようになるのではないかと思います。

多分、まだまだ時間かかると思うんですけど、日本では霊性神学の論文は少ないので、霊性神学を神学校教育に取り入れているBIOLAの論文が出れば、これから日本で霊性神学を語る上での、一つの資料になると思います。Coe教授が第一人者だし、ネームバリューで広まってくれるといいな。

既に取り組んでいる日本の神学者の方々はおりますが、まだ出始めの時期、20年から30年前の資料が多いです。それからどのように発展してきているのか、ということになると、研究が少ないので、最近の資料としては、議論する上での基盤として役に立ってくれるだろう!と信じています。

もう一つやりたいのは、Lovelaceの論文を日本語訳したい。これが、原典みたいなものだから、これがないと、議論ができない。著作権が、別のところなので、難しいと思うのですが、トライしてみたいと思います。とりあえず、BIOLAで実績をつくろう。

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はい、前置きが長くなりましたが、ちょっとですね、霊性神学お休みします。

丁度いい所で中断してしまい、本当に申し訳ない。

もうファイナルの試験期間が始まりまして、余裕ないでス。

でも、今勉強していることなら、ついででご紹介できるので、未消化の状態ですが、部分的なものを紹介します。多分、霊性神学と、『Life in the Trinity』の後に続いて、ご紹介するトピックです。

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本日は「Cauldron(大釜)理論」。

これ、本当にやりたいんですよ。でも、まだ理解も情報も追いついてなくて。

以前少し、お話したかもしれません。右の図が、配布されたプリントです。今これについて、課題で書かないといけないので、部分的に翻訳しました。

書きながら、考えていこうと思います。

今日翻訳した所は、図の左側の縦に長い部分です。

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“The  true  self,  which   God  desires  to  expose   through  his  word   (Heb.  4:12-­‐13),  is  the  cauldron. This  is   what  the  Bible  calls   the  heart.”
「ヘブル書4:12-­13を通して、神が明らかにしたいとを望んでいる本当の自分自身は、「大釜」です。聖書が心と呼んでいるものです。」

“というのは,神の言葉は生きていて,活発であり,あらゆる両刃の剣よりも鋭く,魂と霊,また関節と骨髄とを切り分けるほどに刺し通し,心の思いと意向とを見分けることができるのです。 その方のみ前に隠されている被造物は一つもなく,すべてのものはその方の目には裸であり,さらけ出されています。わたしたちはその方に対してことを果たさなければなりません。” ヘブル4:12-13

“From  this,   there  are  channels,   represented  here,   that  are  the   capacities  of  your  person.”
「心の底には幾つもの谷があり、心には心理的な許容量があります。」

“You  have   capacities  for  anger,   fear,  love,  joy,  etc.,   that  are  formed   based  on  the  nature   of  your  deepest  self.   When  something   strikes  you  from  the   outside,  the  cauldron   of  your  heart  leaks. ”
「心の深い所に、自分自身の性質に基づいた、怒り、恐れ、愛、喜びなどを受け止められる量があります。外側から、何かの刺激を受けた時、あなたの心は揺り動かされます。」

“This  reveals  your  sin,   but  your  sin  is   deeper.  It  makes  up   the  deep  sediment  of   your  heart.  To  be   formed,  the  heart   must  be  formed.  To   be  formed,  you  must   journey  into  the   cauldron  where  the   Holy  Spirit  groans   with  groaning  too   deep  for  words  (Rom 8:26). ”
「これによってあなたの罪が明らかにされます。しかし、罪は心の深いレベルに留まります。 人格が形成されるためには、聖霊が言いようもない言葉でうめいている、心の深み、大釜の底へと旅をしなければなりません(Rom. 8:26)。」

 

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何か、やっぱですね、こうやって見ると、考え方が深いなーって思うんですよ。

“The  true  self,  which   God  desires  to  expose   through  his  word   (Heb.  4:12-­‐13),  is  the  cauldron. This  is   what  the  Bible  calls   the  heart.”
「ヘブル書4:12-­13を通して、神が明らかにしたいとを望んでいる本当の自分自身は、「大釜」です。聖書が心と呼んでいるものです。」
“というのは,神の言葉は生きていて,活発であり,あらゆる両刃の剣よりも鋭く,魂と霊,また関節と骨髄とを切り分けるほどに刺し通し,心の思いと意向とを見分けることができるのです。 その方のみ前に隠されている被造物は一つもなく,すべてのものはその方の目には裸であり,さらけ出されています。わたしたちはその方に対してことを果たさなければなりません。” ヘブル4:12-13

“From  this,   there  are  channels,   represented  here,   that  are  the   capacities  of  your  person.”
「心の底には幾つもの谷があり、心には心理的な許容量があります。」

図で言うと、この大釜の部分は一番下の「Cauldron」の部分です。「Cauldron」というのは、魔女大釜、みたいなニュアンスの言葉で、色々な得体のしれないものが入っている、混沌状態の鍋、という意味です。私達の心の奥底にある、怒り、罪責感、恥、恐れ、心配、悲しみを表しています。

人にはそれぞれ、そういった深い感性を扱うキャパシティ、許容量というよりは、個人的には能力と言ったほうが近いような気がするのですが、その許容量の違いに従って、悲しみや苦しみを受け止めると言っています。

“You  have   capacities  for  anger,   fear,  love,  joy,  etc.,   that  are  formed   based  on  the  nature   of  your  deepest  self.   When  something   strikes  you  from  the   outside,  the  cauldron   of  your  heart  leaks. ”
「心の深い所に、自分自身の性質に基づいた、怒り、恐れ、愛、喜びなどを受け止められる量があります。外側から、何かの刺激を受けた時、あなたの心は揺り動かされます。」

外からの心理的、精神的、刺激を受けた時に、心の奥底の「大釜」は揺らされて、様々な反応として現れます。

“This  reveals  your  sin,   but  your  sin  is   deeper.  It  makes  up   the  deep  sediment  of   your  heart.  To  be   formed,  the  heart   must  be  formed.  To   be  formed,  you  must   journey  into  the   cauldron  where  the   Holy  Spirit  groans   with  groaning  too   deep  for  words  (Rom 8:26). ”
「これによってあなたの罪が明らかにされます。しかし、罪は心の深いレベルに留まります。 人格が形成されるためには、聖霊が言いようもない言葉でうめいている、心の深み、大釜の底へと旅をしなければなりません(Rom. 8:26)。」

私達自身の心の底にある、怒りや、深い悲しみを扱うためには、私達自身が心の深みへと旅をしなければならないと言っています。煮えたぎっている「大釜」の中の感情が癒やされて、良い霊性を育むために、私達がやらなければならないことは、自分自身の弱さを否定することではなくて、認めることです。

聖霊が、私達の心の中の痛みを教えてくれます。
幸いなことは、聖霊は、この一番下の深い苦しみの只中に、私達とともにいるということです。
教授によると、聖霊は、上の部分、人前に出している自分の中にいるのではない、と言っていました。

聖霊は、私達の心の底で、私達と苦しみを共にしています。
その部分が癒やされるために、自分自身に向き合うようにと、サインを送り続けているということです。

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こういった、取り組み方を見ると、人に対する考え方が根本的に違うんだな、って思います。
私は、クリスチャンであるために、理想に近づくようにと考えてきたように思います。
心配や恐れは、信仰の弱さを表すとして、教会の中では批判されてきたように思います。

どうだったんだろうな、って思います。
その捉え方は、聖書が表す解釈の仕方としては、色々と省略しすぎたのではないだろうかな。
単純とか、シンプルとか、なんか、そういう物の考え方が、分からなくなってきた。
素朴とか、朴訥とかは良いと思う。

でも、どうかな、この前のリバイバルの時期の二元論的な理論付けっていうのは…。
信仰っていうのは、複雑で豊かなものでないかな。
気をつけないといけないところもあるし、疑いや恐れも包容しているものではないかな。
聖書は、そうやって読むことも出来るんじゃないかな。

近道を、効率的に進まなくたって良いんじゃないかな。無駄を無駄って思うのは、近代的な考え方じゃないかな。
神さまって、人間を時間軸ではなく、経験軸で活かしていると思うんです。
時間によって早いとか、遅いとか言わないで、信仰者の信仰の具合を見て、物語を進めているんじゃないかな。
もしもね、このCauldronの部分に向き合う霊的指導が出来るようになったら、どうなると思いますか?
私達の霊性への考え方も、導き方も、大分違ってくるんじゃないですかね。
そのためにTALBOTがしていることって、何だと思います。
自分自身のCauldronに向き合うことですね。
スピリチュアル・フォーメーションのクラスというのは、このCauldronへの旅を導くものなんですね。

その先には?
…何があるのか、私にも分かりません。ただ私は、旅をしています。