Cauldron理論-成長の先に、混沌を通るとしたら
プリントの続きやっていきます。
今日は、真ん中の図の中の説明。
この”The Internal Life”では、人の心は4つの層に分類されます。それが図の中の4つの四角に表されています。
まず、上から。
第一のレベルEveryday Interactive Self (Projected Self)
This is who you project to the world, and how you often think of yourself. This is the “idealized I”
第一のレベル(公開している自己)
自分自身が考えている自己であり、世の中に見せている自分自身のことである。”理想化された自己”である。
第二のレベル Meaningful Intentional Self
This layer is where you try to manage your life for control. We often see religion as a service of controlling here (Moralistic, Therapeudic, Deism)
第二のレベル 意味のある、自己
自分自身で自分の生活をコントロールしようとしているレベルである。私たちはしばしば、信仰も、このコントロールの一つの手段として、次のような方法で利用する:モラリズム、Therapeudic(いい訳がなかった)、理神論。
第三のレベル Layer of Unfeeling
This is the layer of all the repression of your life (experiences of pain, trauma, rejection, etc.).
第三のレベル 無感覚の層
この層は、日常生活の中では抑圧されている心の層である(痛み、トラウマ、拒絶の経験等)
第四のレベル Cauldron
This is the reality of our hearts, the deep places that fuel everything above. This is the deep places of the person.
第四のレベル Cauldron(大釜)
心の奥底にある、私達の真実の姿である。心の底で燃える燃料のようなもので、上の層に影響を与える。人格の深い場所にあるレベルである。
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ついでで右端のも、訳してしまえばいいのですが、また明日で。
今日もこの問題に取り組んだのですが、途中である人に会ったので、色々意見を聞かせてもらいました。
私たちの旅は、この下の、Cauldronに気付く旅なのだと。
上の「理想化された自己」から始まり、色々な方法で理想に近づこうと努力し、聖霊の働きによって、隠された内側の傷に気がついていく。
お祈りをしたり、日本で言う、恩寵の手段を通して経験することは、神との関係を深めることであり、神との関係を深めるということは、自分の意識のレベル、心のレベルの深い所に、聖霊が働いていく過程をともにすることなのだと。
信仰が深められていくというのは、理想化された自己へとレベルが上っていくことではなく、内側の気付きへと、レベルを下っていくことなのだと。
すると、私たちは、成長の結果として、自分の実際の姿の前に立ち尽くすということになりますか。
自分の弱さや限界や、制御できない心の痛みに出会うのは、私達が、信仰の道を進んできたという証しだということになりますね。
自分が十分に理想化された状態だと思い込み、自分の内の未熟さに気が付かないとなると、実のところそれは、霊的な深化がなされていないのかも知れません。
私は、なぜ今頃、自分の弱さに、そして過去に、ここまで対峙しなければならないのか分かりませんでした。しかしそれが、心の深化の結果なのだとすれば、成長の先をちゃんと辿っているのかもしれません。
もしも、私達が自分の弱さに向き合う時が、過去の影に苦しむ時があれば、もしかしたらそれは、霊的な悪化ではなく、キリストの姿を回復する旅の始まりなのかもしれません。
成長の先の混沌は、あなたがそこを通ることが出来るレベルまで成長したということなのかも知れません。
今頃…自分の道を振り返ってみようと思います。