荒野で得たもの
ファイナル試験期間を通過中。
本日、スピリチュアル・フォーメーション第一期最後のミーティング。
お祈りの課題を共有して別れる。次は2月。
来て4ヶ月、学校が始まってからは3ヶ月。嵐のようだった。
以前スピリチュアル・フォーメーションのリトリートシリーズに書いたように、こちらに来てもなお、霊的に、精神的には、不安定な状態だった。
長いことかかった。
でも、それで良かった。
日本にいる間、治る感覚が掴めなかった。
今ではない、という事だけが分かっていた。
回復していなかったおかげで、スピリチュアル・フォーメーションのカウンセリング過程を身をもって体験することとなった。
回復していなかったので、授業の内容が痛いほど分かった。
回復していなかったので、沢山の人の思いがすごく有難かった。
傷んでいなかったら、多分見えなかったであろう恵みが、見えた。
謙遜になれた。
今振り返れば、まるでパズルのように、一つ一つがちょうどのタイミングで繋がり合っていたことが見えてくる。
荒野だった。
一昨日、一つの事の決着が付いた。
それを通して、自分の中で、信仰の捉え方が変化していることに気がついた。
以前は、まるで神を試すような気持ちでいた。
いつでも、辞められる気持ちで。
それが、信仰の初めからの私の姿勢だった。
しかし、魂の闇夜を通して、神が何をしてくれなくても、関係を続けたいと思うようになった。
何をしてくれるとか、してくれないとか、そういう取引の関係ではなくて、心からの関係性に。
死ぬほど苦しい所を何度も通って、自分の信仰の弱さを知った。
悔い改めて祈った。
7月には交通事故で本当に死ぬところだった。
自分の過ちで、何もかもだめにするところだった。
でも死ななかった…。
憐れみで、最小限に留められた。
沢山の事を教えてもらった。
どうせ死ぬなら、なぜここまで生きてきたのだろう。
なぜ、ここまで生かされてきたのだろう。
心配するなってことじゃないのかな。
心配しすぎてるぞって、ことなんだな。
失敗ばかり。それでも生きている。
変な人生の経験値ばかりが増えていく。
荒野を経て、学ぶべきものを、学ばせてもらったのだと思う。
器用に生きてしまうから、ずる賢く切り抜けるから、悔い改めないし、生意気で傲慢だから、
えらい目に遭わせられる。
神は、いつも、私が思いもつかないところへ、成長へと、私を連れて行こうとしている。
道は進めば進むほど、険しくなるが、それでも、
進んだ先には、不思議と明るい世界が開けている。