Sanctification Gap 12 – 霊性神学 2

著作者: ttypic 提供元:GATAG

著作者: ttypic 提供元:GATAG

一回切れると、続きが億劫(ヽ´ω`)。いやいや、やりますともよ。

今日ちょっとしか訳してないけど、とにかく進めるぞ、という意味で。思い出すために、復習。

このシリーズは、私が現在BIOLA大学TALBOT神学校のSpiritual Formation(霊的形成)のクラスで学んだことをご紹介したく、始めたシリーズです。

10月頃に始めたにも関わらず、執筆者の能力不足により、途切れ途切れになりながら進行中です。

 

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で、はい、前半ではですね、この第一期のセメスターでキーとなる「霊的ギャップ(Sanctification Gap)」の概念、言葉の始まりとなった1970年代のRichard Lovelaceの論文”The Sanctification Gap”を翻訳していたというわけです。

Lovelaceの論文は、短いもので、彼の経歴と、研究成果を概略的に述べたもので、「Sanctification Gap」自体の言及がそんなに深く発展しているわけではありませんが、神学的には非常にインパクトのある問題提起でした。

彼は、元々カトリックに傾倒していて、そこで霊性を深める修練のようなものに触れるわけですが、その日課的な霊性への取り組みと、霊性への扱いに満足できず、プロテスタント教会に通うようになります。

そこで、プロテスタントの歴史にある、リバイバリズムの潮流を研究して、その信仰復興の理論を神学的に研究したいと、Lovelaceは思います。しかし、プロテスタントの側では豊かな信仰復興の歴史を持っているにも関わらず、自らの霊的遺産の歴史や理論を整理してないということが分かります。

信仰復興の歴史は、調べてみると、つまるところ霊的な理想と、現実との間のギャップ(霊的ギャップ)を埋めようとする運動の歴史であり、各々の活動が、霊的ギャップを埋めるためのセオリーを持っているわけです。

Lovelaceは、リバイバリズムは、ピューリタニズムを模倣した世俗からの分離によって、霊的な潔さ、(清さ)を達成しようとした、と述べています。

結論として、Lovelaceは、霊的ギャップを解消するアプローチとして、まず理想と現実の間にギャップがあることを認識すること、カトリックの文化の中にある霊性を鍛錬する方法や、模範的な霊的指導者に倣うこと、それぞれの教派の文化、歴史の中に散在している霊的遺産を再認識すること、を挙げています。

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さて、ここまでが前置き。

前置きで既に頭が煮えます。

 

これから取り掛かる、John Coeの論文”Spiritual Theology: A Theological-Experiential Methodology For Bridging the Sanctification Gap” (「霊性神学:霊的ギャップを解消するための、霊的経験に基づいた方法論(仮邦訳題)」)の要旨を挙げます。

Coeは、霊的ギャップの存在には同意しますが、霊的ギャップの解消方法については別の意見を持っています。霊性神学が、これまでのリバイバリズムに基づいた霊性の矛盾(聖書の知識は持っているが、人格が伴っていない信仰者)を解決するために、ここ数十年の間に生まれてきました。

霊性神学がどのように、霊的ギャップにアプローチしてきたか、またそもそも、この霊的ギャップとは、何を意味するのか、そして信仰者がこのギャップにどんな反応・取り組みをしてきたか、がこれから紹介する論文の内容です。

結論としては、Coeは霊的ギャップを解消するためには、信仰者が神と深い繋がりを持つことだと、述べています。

どうして、この当たり前に聞こえることが、霊性神学の大きな特徴なのかというと、霊的なきよさは、私達が何かを守ることや、奉仕をすることや、私達自身が自分自身の功(いさお)しを守ること、または犠牲に基づいていないことを認識させるからです。

信仰者たちは律法主義の兄弟、モラリズムの餌食になっていると。

奉仕や行動に走りすぎ、聖霊が働くスペースも時間も残していない。

個人の成果主義や、因果応報の思想に縛られて、神が働く、ということを考えの中に入れていない。

霊性神学は、信仰者が中心に動く思想から、聖霊が動くのを待つ、神の声を待つという視点に切り替える思想です。

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結構長くなりましたんで、一旦ここで切ります。