教会の受容力を引き上げる-クリスチャンリーダーシップ:ビル・ハイベルズ

はい、えークリスチャンリーダーシップを謳いながら、実はリーダーシップについての記事があまりないという、タイトル詐欺状態の当サイト(そんなことはないよ!)。

個人で学んできましたが、教育を受けたわけでもないので、情報が無くどう取り組んでよいか分からなかったんです。
でも、今セメスターからですね、やっと専門的な分野も入ってきまして、リーダーシップのことも勉強が始まるんですね。
それで、リーダーシップに関する内容を充実させていこうと思って、定期的にリーダーシップについて書いてみることにしました。

で、やってみたかったのですが、以前から取り上げているビル・ハイベルズのウィロークリークチャーチが定期配信している、リーダーシップについての動画を、ご紹介してみようと思いました。

ビル・ハイベルズについての詳細は、こちらを御覧ください。⇒ビル・ハイベルズ
■363GLS(363グローバルリーダーシップサミット)についてはこちら363GLS(363グローバルリーダーシップサミット)

久しぶりに調べてみたら、最近日本語字幕が出てないんです(過去のものは日本語字幕が出ます)。去年の夏ぐらいから。とりあえず、古いものから、やってみます。字幕もありますので。


2013年11月6日 Leadership Insights from Bill Hybels – #13 から。

あの、これYoutube上で「限定公開」って出たんですけど、日本からでも見ることが出来ますか?もし見れなかったら、どなたかご一報頂けますか。

テーマはWhat is a Leadership Second Conversion, Part 2。
リーダーシップの第二の改心について、と日本語では翻訳されています。

内容はビル・ハイベルズが、教会内の人種差別を取り除くための取り組みを始めたときのこと。

構想を持ってから、黒人教会、アジア人教会の牧師に会い、沢山の関係する本を読み、約9ヶ月後に初めて教会で、ビル・ハイベルズが持っていた問題意識について説教。

しかし、ビルは9ヶ月という準備期間を経ていたものの、聴衆、役員にとっては急な話で(それにとても議論を巻き起こす話題なので)、教会で少なからぬショックを引き起こしてしまったということ(数千人聴衆が減ったと)。

そのため、マルチン・ルーサー・キングウィークという、教会の受容力を高めるための期間を作り、そのための説教を集中して行うようにしたと。

それから、8年、9年、初めはアレルギー反応を起こした教会にようやく、ビルがリーダーとして広げたかった教会の文化が根づいてきたというのです。

ですから、教会の文化を変えるために、リーダーは少しずつ、地道に周りに価値観を伝えていくことが大事だということが、このトピックのテーマです。周りの教会員に、どれだけ価値観を伝えて行くことが出来るかによって、教会の文化が変わる時間は長くもなり、短くもなると。


リーダーシップはトップダウンの押しつけではなく、周囲への理解を求めていく姿勢が大事だということですね。
それに加え、私にとっては、「受容の価値観を引き上げる」、教会の文化をどうやって変えるかという概念がとても印象に残りました。日本では人種差別はあまり大きな問題にはなりません(同和問題や、ヘイトスピーチなど、根強い差別をする人たちはいますが)。とはいえ、教会の受容力が十分であるかといえば、そうではありません。

他の教団、教派の考え方に対して、お互いの信仰に対する考え方に対して、閉鎖的で不寛容な傾向が強いです。互いに自分たちが正当な信仰を守っており、他の教会・教団の考えを取り入れることは、信仰の堕落だとさえ考えています。
一見礼儀正しく、何も悪いことはしていないようです。しかし、崩し難い見えない力関係が教会の文化を形成しています。

その教団・教会の中で有力なクリスチャン一族の出身であるか、牧師・役員であるか、学歴があるかどうか、長い間所属しているか、経済力を持っているか、男性であるか、家庭事情はどうか…。

教会の受容力を高めていくためには、リーダーの意思と、粘り強い働きかけ、文化を変えていく実際的な適応が必要です。

ビルの教会では、確か女性の牧師を積極的に登用したと言うことを、別の説教で言っていました。

日本の教会であれば、他教団出身の人を、重要な運営メンバーにつけたり、教団の代表を博士課程なんて持っていなくても、信頼のある人を選んだり、女性の代表を選んだり、お互いの信仰のあり方を認めたり、

何か、そういう受容の文化を高めていくことが、謙遜さや寛容さを生んでいくと思います。

不寛容な文化は、不寛容な組織を、信仰を作り出していきます。
教会外部からやってくる一般の人が感じる、閉塞感とは、この見えない不寛容さ、ではないでしょうか。

粘り強い、意図的な働きかけが繰り返されることにより、文化が変わっていきます。

キリストは、この世界の目に見えない不寛容さ、壁、この世的な秩序に問を投げかけたのではないでしょうか。

「 わたしが来たのは、地に火を投げ込むためです。だから、その火が燃えていたらと、どんなに願っていることでしょう。」ルカ12:49

この世の秩序を反映させていく教会ではなく、神の国の逆転劇を体現させる教会であれるように。
最初にするべきことは、まずリーダーがその見えない壁に気がつくことでしょう。