霊的虐待が一つの魂を握りつぶす過程

著作者:akio.takemoto 提供:GATAG

どうか、教会関係の方には知っていただきたい。特に、そんな立場の方は私が書いていることなぞ、鑑みることすらしないだろうと思うが、組織の責任者、運営メンバー、代表者の方、自らの特権が使い方によって、何を引き起こすのかをよく、考えてもらいたい。

プライバシーのことがあるので詳しく書けないが、私と同じような経験をした友人がいたが、突然教会からも姿を消し、クリスチャンのコミュニティからも離れ、連絡が取れなくなってしまった。
とても真実な信仰を持っている方なので、大丈夫だということを信じてはいるが…見知らぬ国で、しかもこんなに外国人に対する規制が厳しい国で、云々云々が云々云々で…、とにかく、非常に心配な状態で居なくなってしまった。

私も首の皮一枚で、なんとか今教会につながっているが、下手をすると、もしくは下手な過程を辿ると、教会を飛び出る状態だった。今でも油断ならない。
霊的な虐待の回復過程はそれだけ、気をつけてあげないといけない部分がある。魂の深いところでは、ものすごく混乱しているので、その罪責感や怒りや苦しみを刺激すると、回復しているかに見えて、いっぺんに教会を飛び出たり、つながりを断ち切ろうとしたり、とにかく思わぬ方向へと行ってしまう。それは、自分の事として、よく分かる。

一体霊的な虐待を受けた人に何が起こるのか、どれだけ罪深いことを、的外れな霊的指導者達はしているか、知ってもらえたらと思う。


1. 霊的虐待のターゲットになる人、即ち深く傷を受ける人は教会に真面目に仕える人である。

2. 真面目に、一生懸命考えるので、何かおかしいと思いながら、忍耐したり、自分が悪いのだと思い、牧師や指導者達から言われることに取り組み続ける。

3. やがて、どう考えたって、これは良くない、おかしい、ということに気が付き、牧師に反対したり、周りの人に相談し始める。そして、教会を出る決心をする。

⇒多くの人がこの過程で、牧師や「家族」だと思っていた「兄弟姉妹」から無視されたり、噂の的になったり、反抗的、霊的に未熟だ、などの嫌がらせを受ける。カルト的な傾向が強い教会では、集団統制が日頃から強められているので、集団から外れた人間、牧師からにらまれた人間はすぐに、このような「制裁措置」が行われる。

4. 霊的虐待を受けた人は、信頼し、一生懸命仕えていた牧師、教会から一転、反逆者扱いを受け、ショックを受ける。

5. なんとか教会を出るものの、深い喪失感(時間、労力、人間関係)を感じる。何が起こったのか、霊的に、精神的に理解できない。神に対して怒るようになる。

6. 人間不信、神に対する不信、逃げ場も安心な場所も何もなくなる。とにかく、教会だとか、神様だとか、今しがた自分が痛みを感じる場所からは遠ざかる。

7. なんとか回復しようとしてもがく。
⇒この辺りの過程が大切。この段階は、まだ回復しようという力があります。この時に、良い指導者や、助けが得られると、うろうろしながらも、なんとか落ち着いてきます。

8. 時間経過、新しい人間関係、痛みの共有、霊的理解の更新によって、少しずつ落ち着いてくる。
⇒順調のようですが、この時期もまだ危険です。少しでも痛みを思い出す圧力や、罪責感や、人間不信を引き起こすようなちょっとした出来事で、大きなショックを受けて、激しい反応を引き起こします。急激に落ち込んだり、泣いたりします。

9. つながり続ければ、徐々に新しい考え方や、知恵が得られますが、教会や、人に対する不信感、神に対する怒りや、申し訳無さが混ざり合って、なかなかつながりを築けない場合は、もっと孤独に引きこもろうとしたりします。傷がもっと深くなります。


連絡が取れなくなってしまったその友人は、

「どうして私は、あんな目に遭わなければならなかったのだろう。私はただ、神様に仕えたいと思っただけだったのに。一生懸命働いたのに、ある日神様が教えてくれたことは、あなたがやっていることは悪いことだ、ということだった。」と言って、ポロポロ涙をこぼしていました。

そして、

「私は神様のことを勉強する資格なんかない。教会で仕えようと思っているのに、教会が恐い。神様に対して怒っている。一体どうしたらいいのだろう。今ここで、癒やしてもらっていることはわかってる。でも人に仕えるような力はない。自分が回復することだけで精一杯。」

と言っていたのを思い出します。
また彼女に会えたらいいけれど、と思ってただただ祈るばかりです。


霊的な虐待を加える牧師たちには、自分が何をしているのか自覚がないかもしれません。訓練だとか、教会の運営上仕方がないことだとか、心の底にはそんな表面上の理由以外の、劣等感や、支配欲、名誉心、妬みがないか、よく考えてもらいたい。

自分がやったことによって、一つの魂をバラバラに切り刻むようなことをしていることをしていることを、知ってもらいたいです。

霊的虐待が与える魂への悪影響は強く、回復しようとする後々の過程にまで影響を与えます。

魂を神から引き離す、非常に巧妙な手段です。

霊的虐待が一つの魂を握りつぶす過程” に対して2件のコメントがあります。

  1. クリス より:

    教会について検索中にここに辿り着きました。born again クリスチャンです。
    私の大切な姉妹も私も、それぞれ違う出来事ですが教会で苦痛な経験をし、教会や教会の人達から離れています。
    教会の人達は、キリストを現わしているべき自分達が、キリストであればしないであろうことをして傷つけていることは「私は神様に許されているから」と問題にはせず、「クリスチャンは人間の集まりだから。人じゃなくて神様を見ないといけないよ。」と、傷つくことが悪いのだと傷つく人達を更に追い込んでいきます。
    傷ついた者が重荷を下ろせるはずの教会で、重荷を課せられて帰ってくることに非常に疑問を抱いています。
    私は別の教会を探してはいるものの、クリスチャンに対して私の心は完全に閉じています。
    お友達の気持ちも、少し分かる気がします。

    1. church-mgmt より:

      クリスさん、コメントをありがとうございます。本当に多くの人が教会で傷を受けて苦しんでいることを、悲しく、悔しく思います。
      >教会の人達は、キリストを現わしているべき自分達が、キリストであればしないであろうことをして傷つけていることは「私は神様に許されているから」と問題にはせず、「クリスチャンは人間の集まりだから。人じゃなくて神様を見ないといけないよ。」と、傷つくことが悪いのだと傷つく人達を更に追い込んでいきます。

      本当にそうだと思います。自らが「正しい」側に立ったと思うと、自分を反省するどころか、他者を正してあげる側だと思ってしまうのは、人間の弱さなのかも知れませんね。
      「わたしの荷は軽い」とキリストが教えていることと、別のことが起きているとすれば、聖書での言葉を使った別の価値観が忍び込んでいるんです。
      大切なことは、「良いクリスチャン」になることでもないし、沢山奉仕をして自分の信仰を証明するような信仰生活でもない。神との関係を深めることができる教えをしているか、指導をしているかどうか、ではないかと思うようになりました。
      一緒に、放浪しながらも、良い霊性を見分けて身に着けていきましょう!
      迷っても、閉じていても、大丈夫。神様についていく道の過程ですから。

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