良いリーダーとは何か-クリスチャンリーダーシップ:ビル・ハイベルズ
はい、すみません、抜歯したらやっぱりちょっと調子が悪くなりまして…。元気になりました、はい。
今日はビルハイベルズのリーダーシップ講座2013年10月7日配信”What Makes a Good Leader?”から。
どんな人物をリーダーにするか、ということが述べられています。
ビル・ハイベルズによると、人格・適正・文化だそうです。ちなみに、召命はあるという前提で。
人格-人格に問題のある人は、リーダーに選ばない。働いている間に、人格の問題が明らかになったときは、話し合いの時を持つ。リーダーの人格の問題は、リーダーの働きの中ではなく、リーダーの働き以外の場所で解決してもらう。
適正-新約聖書に賜物の言及があるように、リーダーの賜物があり(ローマ12:8)、チームに貢献できる人でなければ選ばない。これは、訓練で伸ばすことが出来る。
文化-人格がよく、適性があっても、違う文化を目指している人は成果を出せない。目指している文化が一致する人を選ぶ。
ちょっと、内容に具体例がなくて、抽象的です。続きのところでもっと説明があるかもしれません。
自分としては、今回の内容にはなんとなく何か心に引っかかる部分があります。
合理的で、運営するには良い考え方だと思うのですが…すでに出来上がっている人を選ぶというか、その、競争社会の原理が強いように思いました。
きっとこのような教会では、既に沢山の教育システムが整っているから、よく訓練された人たちの中からリーダーを選ぶ、と考えたら、ということかも知れません。
聖書の中で、信仰の指導者達を調べたら、品行方正、まともなリーダーなんて見当たりません。
口が重いと逃げ回ったモーセ、妻を妹と呼ばわる手で2回失敗したアブラハム、欺く者と呼ばれたヤコブ(イスラエル)、見栄っ張りヨセフ…。
12弟子達のどこに、人格・適正・文化が一致した人物がいたのか。
誰が偉いのか競い合い、ペテロはあの通り、ヤコブとヨハネはボアネルゲ(雷の子)、他漁師、取税人、皆で逃走、神の国より「打倒ローマ、エルサレム独立」ナショナリズム集団。
奇跡だ。
どうだろう。リーダーっていうのは…彼らに共通していることは…まずもって召命。そして…そして…失敗と再起動かな。
でもね、分からないんですよ。
ビル・ハイベルズが言っていることも…確かなんです。
魂のケアのことを考えれば、そして後々の問題を未然に防ぐとすれば、きちんとしたリーダーを選ばないといけないんです。
魂の指導者という大事な立場の人間を選ぶ方の責任というものがあるんです。
問題のある指導者達も召命がある、と言うんです。むしろそこにしがみつきます。
神が呼ばれたのだから、私が神の使いだ、と言います。召命感がこじれてるんだか何なんだか。
問題を起こすリーダーたちの最大の問題点は、人格に問題があるところです。
実際の所、信仰だけではリーダーは務まりません。語弊がありますが…その、信仰があっても、群れをまとめられない人はいるんです。信仰があっても、信徒さんを妬んだり、自分の地位を守ることに躍起になったり、不安定な自尊心のために人を支配したり縛り付けようとする人がいるんです。
そのような人たちは、指導者の立場にいる、ただの人です。リーダーではなく、リーダーの立場にいる「人」です。
人格に問題があります。それは、神学校に入る前からすでに分かっているような場合があります。
でも、神学校に入ったら何か変わるだろうと思って、本人の熱い願いもあり、神学校に入れます。
ところが何も変わりません。
だれも、その面倒なことに触れないまま、問題のある人物を地方の教会か、大きな教会の副牧師として送ります。
地方なら、大きな問題にならないし、信徒さん達もうるさくないだろうとか、大きな教会の下につければ、指導されるだろうとか期待して。
ところが、やっぱり変わりません。
大きな教会に派遣されても、愛想を尽かされて、そろそろ独り立ちの時期だ、とか、結婚を機に地方の教会へ派遣となります。
そして、教会はメチャクチャになります。
社会であれば、責任者になれるはずもない人が、教会という小さな社会で妙な自尊心だけをつけて、他の人の信仰と精神を破壊していきます。
召命は大事です。全てです。しかし…羊の世話を任せるには、ちゃんとお世話が出来る人じゃないといけません…。
この点に関しては、まだ私ははっきりとした判断基準を得ていません。続けて取り組みが必要です。