「日本では無宗教であることが、 ノーマルな人」

私の好きなエッセイストの小文字由子さん。
この方のツイッターや記事はちょくちょく、読ませていただいております。楽しいので。

興味深い記事を書いてらっしゃったので、ご紹介したくなりました。

『誰をメンターとするかで、人生が大きく変わる件について』

この記事の中で、最近とある宗教団体に出家したという女優の清水富美加さんについて触れています。

「もう言い尽くされてますが、
日本人は、

正月は初詣で神社へ詣でて、

もともとは悪霊を
追い出すことが起源だったハロウィーンは、
仮装大会として流行り、

イエスキリストの誕生を
祝う意味だったクリスマスに
今となっては、当たり前の日本の年末の
風物詩として違和感なく習慣になっています。

本当のイベントの意義や意味など関係なく、
商業ベースにまんまと乗せられ、
背景的宗教の意義など、
消え失せています。

かえってそれが
好都合だからですね。

日本では無宗教であることが、
ノーマルな人と見られる
暗黙の印象があります。」

「(清水富美加さんについて)22~3才の若いお嬢さんが、
あえて奇人変人に思われる
道を選択させた、宗教団体に
腹が立って仕方ありません。

・・・

道理を教えるのが宗教であって、
得たいの知れない、
見えないものに、

雲隠れすることを
肯定するのは、

更に『宗教は怖い』と思う
イメージを、日本人に浸透させることに
なりますね。

そんな宗教なら関わらないほうがいい。」
小文字由子の『だいじょぶだぁ』より(2017年2月18日アクセス)

本当にね、これ。

「日本では無宗教であることが、ノーマルな人と見られる暗黙の印象があります。」

日本と言うと、世界でも屈指の宣教が難しい場所として知られています。
時々いろいろな国の人から、なんで?と聞かれます。

「どうして日本ではクリスチャンが増えないのか?」
「日本でキリスト教が伸びたという話を聞いたことが無い。」

そして、日本から帰ってきた宣教師に

「また、日本に帰って宣教します?」と聞くと、

「………暫く…いいかな…。というか、もういいかな…。」

と言います。なぜ?と聞くと、

「あの…何ていうか、階層があるんだ。牧師の中に。それが難しくて、窮屈。
それに、信仰の細かいことになると、伝えられないんだ。日本語が難しくて。
僕たちは外国人だから、あるいみボーナスがある。すぐに友だちになれる。日本人の方から近づいてきてくれる。
でもね、限界があるんだ。ある程度のところからは、日本人同士で頑張ってくれないと、伝わらないんだよ。」

アメリカのクリスチャンは、アジア(中国や東南アジア)が宣教を求めている場所みたいな、宣教団体が作っているビデオを、感動して見ています。

だけど…だけど…違うんだ、日本に限っては…あの空気!!!!

それを知らない無邪気な宣教師希望の人たちが、
「え、日本行ったけど、フレンドリーだったよ、電車とかで話しかけて、聖書の話とか出来たし。」
とか、それを聞いて日本人達は
「それあなたが、外国人だから。日本人がやったら、絶対引かれるよ、壺要りませんって言われるよ。」
「あ、キリスト教ですか、あの玄関に2人で来る人でしょ?うちにもよく来ますよ。え?違う?そんなこと言って、どこの宗教もおんなじこと言うんですよ、あちらと、こちらは違うって。でも皆同じでしょ。とか言われて戦意喪失するからね。」
と、日本の難しさを力説する日本人。

どうして「日本では無宗教であることが、ノーマルな人と見られる」ほどに宗教は色々やらかしちゃったのか。

そして、なぜ今なお「『宗教は怖い』と思うイメージを、日本人に浸透させ」ているのか!?

こちらに来て、何回も色んな人に日本人の宗教に対するイメージを説明しています。アメリカにも、カルトも、霊的虐待もありますが、それが国民の大多数に浸透する程のレベルではありません。

改めて、日本の文化の宗教という土壌の不可思議さに頭をひねります。

確かに、オウムの事件もありました。

でも、こちらで9・11テロがあっても、イスラム過激派によるテロがあっても、宗教にはかなりの信頼があります。

日本では、何かを信じていることは、頭がおかしな人、か人生が狂わされる一歩だと考えられます。

洗脳されて、集団生活になって、プライバシーや自由を侵害されて、家族と引き離されて、おかしくなって、社会生活を失って、金銭を変な集団に貢いで….

いやこれ、即ち、宗教組織がやってきたことなんだよね、きっと。
うーん…日本人にとって、宗教は生活ではなく、非日常。

はぁーそれだけ証が立ってないってことだなぁ。

でもね、絶対魂は飢え乾いてるんですよ。
だから、スピリチュアルとかパワースポットとか、占いとかに走るし、何か、去年一般企業で働いたときも、変人扱いされないで色々聞いてきてくれましたよ。


「誰をメンターとするかで、人生が大きく変わる」、うむ、宗教がメンターとして機能する日が来ますように。

私のメンターは、御年98歳の人智を超えた大老師ですから、ねぇ、うん。
霊性が健全な人間性を形作るものになりますように。
宗教が、毎日の生活を破壊するものではなく、整えるものとして成熟していきますように。