闇夜のときは、闇夜を学べ

著作者:jfl1066 提供:GATAG

ある課題のプリントで、「あなたが一番、神がともにいると感じたときはいつですか?」という質問があった。

一番最初に思い浮かんだのは、去年のことだった。

教団も教会も離れて、真っ暗で何も見えない時のことだった。

よく考えてみると、神さまが一番近くに感じられなかった時だった。
なんでだろうと思った。

今日はこちらでお世話になっている牧師先生とお話する機会があり、そのことを話してみた。

すると「真っ暗で、苦しすぎて、神様が見えなかったのよ。」と言われた。

神様が見えなかった。

私から見えなかっただけで、神さまは近くに居たのかも知れない。

牧師先生は続けていった。
「痛みや、苦しみは良いものですよ。良いものに変わりますよ。その時は辛くても、無駄にならないから。」


長い長い闇夜だった。

私は闇夜の中を下ることを選んだ。
闇夜の中に留まることを選んだ。

辛かった。

でも今は、思う。私は神の豊かさの中を生きることが出来のだと。

沈黙とか、自分に向き合うこととか、神とともに生きることとか、神の声に耳を澄ますこととか、闇の中にある…「寂しいところ」(マタイ14:13、マルコ1:35、ルカ4:42)にある豊かさを教えてもらえた。

そういう空間の大切さを、こちらに来て教えてもらえた。

老師の教えには、「無用の用」という考えがある。
何も無い所に意味があるのだと。
車輪は中央に穴が開いているから、そこに車軸を通して、回す事ができる。
茶碗は、空間があるから、水を汲むことが出来る。

神の足音は、失望の道のりの中にもあり、意気消沈の背中も見つめていてくれる。

そのことを知ることが出来た。

きっと、神の恵みの中に豊かになろうと思ったら、伝道者は特に、暗闇の中を通る。
パイロットが夜間飛行の技術を学ぶように、時が来れば、暗い荒野を通っていく。

暗闇のときには暗視飛行を学べ。
明るいときには分かっていた感覚が全て使えなくなる。

目視も、高度計も、方向感覚も、音も聞こえない。

暗い雲の中を、一体後どれくらい続くかわからない闇の中を進んでいく。

嘘をつくな。元気だなどと、自分の信仰は大丈夫だなどと。

自分の姿が洗い出されると、何倍も強く成長する。

弱くてもいい。自分を欺くよりは。
自分にしか戦えない戦いを真摯に生きる。

輝かしくない自分で、ヤコブの自分で。

闇の中で神に出会い、神の恵みの中に豊かにされていく。