教会が合わない場合は、別の教会に移動したほうが良い理由
教会に問題があったり、教会生活不満を覚える時、誰しも一度は教会を変わりたいと、思います。
先日、とある先生と連絡をとった時に出た話題です。
どなたかの参考にもなるかもしれないので、ご紹介します。
「教会を変わりたいと思った場合、どう考えればよいか」
同じ質問を、私も何回も受けたことがあります(⇒「置かれた場所で咲かなくていいです」)。
私は、別の教会を探すことをお勧めしていましたが、とは言っても、どこの教会で安心して教会生活をおくることが出来るのか分からないので、自信を持ってお勧めできる意見ではありませんでした。
何とも不可思議な考えを持つ教会が多いものです。
自分たちの教会だけが救われると考えていたり、ひたすら教会員を奉仕に駆り立てたり、牧師が独自の再臨論に走り出したり…。
そして実際は、どんなに自分の教会に不満があっても、留まる人がほとんどでした。
「つまるところ、移動した先の教会も似たり寄ったりの教会で、トラブルに巻き込まれるだけだった」と話してくれた方もいました。
まだ、こちらに来て日が浅いので、私も知らないことばかりなのですが、少なくともアメリカの人々は日本のようなこだわりは見せずに、教会を移っていきます。
教授たちはそれを「チャーチショッピング」と呼んで、よく思っていません。
教会では交わりを通して成長する。教会の働きに献身的な貢献をすることが大切。
その考えは、アメリカのクリスチャンたちもよく理解しています。
では、一体どういう意識で移動するのか。
私がアメリカでお世話になっている先生にお聞きしてみました。
「勿論、その教会に留まるという意義もあるし、何か意味もあるのかも知れないけれど…実際、自分の牧会経験から言うと、その人が安心して定着できる教会に行くことをお勧めしている。
アメリカ人は確かに教会を変えるけれども、それは定着できる教会を探しているということです。
定着できる教会だと考えれば、そこで教会活動に参加するようになる。
でも、牧師が変わったり、 問題があったりで、難しいとなった場合は、 また安心して教会生活が送れる教会を求めて出ていく。
自分が思うには、どうしても教会というものにも相性があり、バリバリのカルバン主義の教会から来て、 その教義しか受け入れたくないという人には、 カルバン主義の教会をお勧めする。
逆にカリスマ派から来て、 癒やしだとか、奇跡だとか、そういうものが好きな人には、 そのような教会に行くことをお勧めする。
その人が神さまを感じられるところが良いと思う。
無理に合わない所に居ても、 ストレスが溜まって、神さまを見つめることが出来なくなる。
葛藤を感じるのであれば、 安心して教会生活を送れる場所に行くのが良いと思う。」
との意見でした。
また、牧師夫人の先生は、次のような意見です。
「自分も、合わないのであれば、 教会を変わったほうが良いと思う。
無理に、合わない所にいても、ストレスが溜まる。
牧師と教会員が合わなくて、分裂したり、 教会員が牧師を追い出したりという事件を、 度々見てきた。
また、牧師は、 厳しく裁かれる一方で、神さまからの特別な守りがある。
普通に働いている牧師に危害を加えると、裁きが下る、 実際にそんな出来事を見てきた。
牧師を追い出したり、危害を加えた関係者達が、事故にあったり、 病気で突然死んだり、そういうことを見てきた。
だから、自分自身が牧師を受け入れられずに罪を犯すよりは、 安心して集える教会に移った方が安全。」
ということでした。
上記も、一つの意見です。
絶対的なものではありません。何が良いかは、それぞれの状況で判断をお勧めします。
絶対的なものではありません。何が良いかは、それぞれの状況で判断をお勧めします。
お二人の意見を聞いて、新鮮なのは、教会生活というのものが、まず第一に個々人と神との関係性を深めるためにあるという認識に集中している点です。
教会に貢献することが云々、安息日は主の命令云々、という考えも聞いたことがありますが、そういった考え方は「正しい」のですが、集う人の目線から見たものではありません。
命令にはなりますが、魂への配慮は欠けています。
命令にはなりますが、魂への配慮は欠けています。
教会に行っている人も、何のために教会に通っているのか考え、惰性で教会に行くのではなく、時には勇気ある決断をすることが必要です。
この問題で、迷っている人は多いと思います。
一人ひとりの魂のために祈っています。