前進するために、止まる。豊かになるために、振り返る。
ある授業からの帰り、仲良くしている韓国人の同級生と話しながら帰った。
韓国の人たち、コリアン・アメリカン(韓国系アメリカ人)、アメリカの韓国教会の文化というのは、面白い。
彼らはとても感情表現が豊かなので、韓国のキリスト教文化の中で起きている摩擦を活き活きと話してくれる。
彼らが話す韓国文化、教会文化というものは、日本の教会文化とよく似ている。
もしも、日本で韓国と同じくらいキリスト教が広まっていれば、きっと同じ状態になっていただろう。
ただ、韓国ではキリスト教が人口の30%に及んだが、日本では1%を越えなかった。
文化的、民族的な違いはあると思うが、彼らの話はとても参考になる。
牧会ケアとカウンセリングの授業の帰り、こんな話をした。
友人「今日のカウンセリングの練習、どうだった?」
自分「相変わらず、失点ばかりだよ。あっちに気をつければ、こっちを忘れる。
英語で聞くから、どうしても聞いたことを覚えていて、全体から話すということが出来ない。」
友人「そうだね。何かここで勉強してから、ずっと川の中で溺れてるみたいだよ。
自分の心の内側とか、問題を考えて、一体何が自分の中に起きているのか、どこに向かっているのか、これでいいのか、分からない。」
自分「うん...。何か...方向性が逆なんだ。これまで教会で聞いてきたことと。
これまで、教会では、過去のことを振り返るなって言われてきた、自分を見るな、自分に死ねって。
でも、ここでは逆。過去を見なければ前に進めないと言う。」
友人「そうそう!」
自分「前に進むために後ろを見るな、って…。日本の教会では、過去のことや、悩んでいることを見つめるのは、いけないことだって、教育していた。」
友人「そう、韓国教会も一緒だよ。牧師が言うんだ。前に進め、後ろを振り返るな!!!!って。
自分を否定しろ、自分を犠牲にして、イエスに仕えろ、自分のことを考えるのは、自己中心だって。」
自分「つくづく似てるねぇ。」
友人「日本の教会は、もう少し穏やかだと思っていたけど違うの?」
自分「発想は同じだよ。」
友人「そうやって、ずっと教育されてきた。でも、ここでは逆。自分の内面を見つめる、そして悩む。
格闘する。過去のことを修復できなければ、前に進めないという。時々、こんなに自分に焦点を当てていて良いのかなと思う時がある。」
自分「そうだね。微かに、罪責感を感じることがある。」
友人「罪責感…どこに?…でも、そうだ、分かる気がするな。一体どこから来るんだろう。」
自分「えぇと…分からないな。今思い出せないみたいだ。でも、自分のことを見ることは悪いことだ、って教え込まれてきたのかもしれないね。」
友人「うん。」
自分「私も、どこに向かっているのか、分からない。でも…続けて話していこう。
何かが、分かるかもしれない。」
そう、これまで、前に進むために、後ろを見るな、と教育されてきた。
悩んだり、いつまでも過去に拘ることは、不信仰の表れだと。
だが、ここでは逆。
後ろを見なければ、前には進めない、と言う。
己の内面の深みへ下り、心の傷を修復していく。暗い過去に、神の臨在を見る。
魂をの歪みを正していく。
闇の中で神に出会う。
そのために、そのために。
神の沈黙に、豊かにされていく。