霊的形成のクラス(2017 Spring) 3:自分が不適格者であるということの意味

霊的形成の学部棟。修道院のような石造りの建物かと思いきやプレハブ。 聞いた話によると、何十年も前からプレハブ。

今日のリトリートの内容をもう少し書いてみようと思う。

学生は15名ほど、そしていつも指導してくれるスピリチュアル・ディレクター(霊的形成のリーダー)。
朝8時頃から、各チームで集まって始まる。スピリチュアル・フォーメーションのクラスは、2つ、各々30~40名。
1チーム12名~15名なので、5,6チームがそれぞれの場所でリトリートをもつ。

朝ごはん、昼食も用意されている。

何か、ありがたいのが、食事が用意されていること。学部によって違うらしいが、TALBOTではよく食事や飲み物が提供される。
リトリートの途中、各クラスにポップコーンとお菓子が差し入れられるという、不思議。

私のチームは、他のチームより早めに集まり、早めにスタート。


今日中数人の学生(全員神学部)のライフマップ、これまでの家庭環境のことを聞かせてもらった。

常々、私は自分自身の家庭が機能不全家族なので、自分には…正直なところ家族のことなど勉強する資格が無いと思っていた。
健全な家庭で育っていない人間が、健全な家庭を持つことが出来るだろうか。
私には自信がない。

だから、少しでも、少なくとも私よりはまともな家庭で育った人が、家族のカウンセリングを、サポートをする資格があると思っていた。

だが、今日一人ひとりの話を聞いてみて…安全でまともな家庭の出身者なんて一人もいなかった。

特に、アジア圏から移民で来ている人たちは、幼い頃から親と離れて暮らしていた。
親は、子供の将来のためだといって、厳しい教育をしたり、子供だけでアメリカに住まわせたり、引っ越しを繰り返したり、その中で育った子どもたちは常に不安と孤独に晒されていた。

アルコール中毒、ギャンブル、不倫、暴力、いじめ、自殺未遂、ヒステリー、争い、性的虐待、犯罪、ポルノグラフィ、中絶、離婚…
そんな話の連続だった。


じゃぁ、誰に家族のケアをする適性があるのだろうか。
確かに、多少なりともまともな家庭の人達もいる。
でも、ここに来ている学生たちの家庭が、世の中の縮図だとしたら。

自分は不適格者だ。
生まれたときから、不健全極まりない家庭で過ごした。それ以外の選択肢はなかった。
精神的にも、不安定因子だらけだ。

でも、誰が適正を持っているというのか。

安定した家庭で育てられた、健康な精神を持つ人間が、牧師に、伝道者になるのにふさわしいとしたら、今日ここに集まった一体誰がふさわしいというのだろう。

人は、少なくとも、今日ここで勉強した人たちは、傷だらけの過去を、神の恵みによって新しく生き直していくんじゃないだろうか。

一人の牧師家庭出身の学生さんは、話しながら、思い重荷を背負っているように見えた。
家庭をめちゃくちゃにし、家族を暴力で危険に晒しながら、神の恵みを説く父親を、彼は必死に許そうとしていた。
なんとか、家族の絆が回復するように。

でも、彼は先セメスターから、鬱症状が出始めて苦しんでいる。

不適格者は、神の家族を回復させることが出来るのだろうか。
不適格者である意味というのは。

不適格者は、自分が育った家庭をモデルにすることが出来ない。
だからこそ、神が教える「家族」を自分自身で生きなければいけない。

手探りで、一から神の家族とは何なのか、取り組んでいく過程を通っていく。
気が遠くなる作業だが、もしかすると、それが通常の「神の家族」になっていく、ということなのかも知れない。