霊的形成のクラス(2017 Spring) 2:思い出せない
昨年9月、私にとって大きな転機となったスピリチュアル・フォーメーションのリトリートの2回目が今日開かれた(2016年のリトリートの様子はこちら)。
今回は泊りがけではなく、1日集中して朝から夕方まで行う。
今セメスターのテーマは家族。自分の育った家庭環境が、どのように自分のパーソナリティ、そしてリーダーシップに影響を与えているかを知る、というテーマだ。まさか、第二セメスターのテーマがこう来るとは思わず、掴みどころがなくて当惑している(参考:霊的形成のクラス(2017 Spring) 2:家族について)。
今回は、一人ひとり「ライフマップ」というものを作ってきて、それをグループの中で説明していく。
作り方は、またこのシリーズの中で紹介したいと思う。
毎週課される、Prayer Project(霊的な取り組みの過程を書く課題)には、毎回自分の家庭環境のことを尋ねる質問があるのだが、あることに気がついた。
昔のことが思い出せない。
おかしい。以前よりももっと、思い出せなくなっている。
初めて教会に行き始め、優しいクリスチャン夫婦に出会ったとこからは、鮮明に覚えている。
だが、生まれてから高校卒業まで過ごした故郷での記憶が…。
幼い頃に感情を抑圧して生き延びた慣習が、大阪でのストレス環境下で再発した。
ついこの前2年半かけて、原因が分かって回復してきたばかりだ。
ライフマップは、これまでの人生を表にするのだが、やはり生まれてから19歳位までのことがあまり思い出せず、家族の名前以外には、何もイベントらしいものは書くことができなかった。
今日のリトリートでは、一人15分位で、自分のライフマップを使って自分のこれまでの人生を説明する。
自分の家庭環境のことを説明することがメインなのだが、あまり思い出せないので、話のほとんどは、クリスチャンになってから、TALBOTに入学するまでの話になった。
クラスメートから、
「あなたは、外見はマッチョな人に見えないが、中身はたくましい巨人を見ているみたいだよ。意志の巨人だね。」
「ドリーマーだね。目標に向けて、突き進んでいく。あなたが進んだら、誰も、止められない。」
という、お言葉をいただきました。有難うございます!
自分の番が終わってから、説明のときに自分で話した言葉が気になった。
「自分の小さい頃の事を、あんまり思い出せません。」
他の人の話を聞きながら、なんで思い出せないのか、脳が考えているようだった。
だが、考え、思い出そうとすればするほど、目眩がし、頭痛がしてきた。
帰り際に、リーダーのスピリチュアル・ディレクターに質問してみた。
「家族といた時のことを思い出そうとするのですが、思い出すことができないんです。
どうしてこんなに多くの記憶が欠落しているのか、自分でも驚いています。
思い出したほうがいいのでしょうか、それとも、そのままにしておく方がいいですか?」
「それは、本当のトラウマになっている。聖霊の導きに従って。
聖霊がそうした方が良いといえば、思い出してみた方がいいし、そうでなければ、そのままでいいわ。」
結局、寮に帰ってきて、両親が幼いころ小さな花屋をやっていたことを思い出すまで、4時間かかった。
どうしてそんなに簡単なことを思い出すのに時間がかかるのか。
記憶自体は、残っている。だが、そこに至るまでの経路、取っ掛かりを掴むことができない。
まるで、取っ手がないドアのようだ。もしくは、鈎の無い引っ付き虫。
寮に帰ってくると、ルームメイトのミンミンが
「ユミ、とても疲れているみたいに見える。どうしたの?ここに座って、ちょっと話そう。」
と言ってくれた。
ミンミンは私の話を聞いて、私の幼少期に神様がどのように働いてくれていると思うか、神様はどんなときにも私達のそばに居てくださる、ということを、一生懸命説明しようとしてくれたのだが、話せば話すほど、頭が痛くなった。
「だめだ、手がかりが掴めない。きっと、自分の過去の中にも、神様が働いていることを考えるリトリートだったと思うのだけど、多分、まだ時間が必要なんだと思う。何かのプロセスか…何かが。
一体、神様が思い出さないように鍵をかけているのか、それとも自分で鍵をかけているのかわからないのだけど、思い出すべきなのかどうなのか、分からない。」
リトリートの最中に、一つだけ思い出したシーンあった。
多分、小学校に上る前の5歳位のころだと思うのだが、ミシンの下に逃げ込んで小さくなっている記憶だった。
両親の喧嘩は若い頃はそれは賑やかなものだった。
叫び声、怒鳴り声、泣き声、茶碗の割れる音、食卓がぐちゃぐちゃになる音。
クレヨンか何かの箱を抱えて、違う部屋の隅にあったミシンの下に隠れている記憶だった。
恐怖はなかった。何も感じなかった。
ミンミンとの話が終わってから、ひどく疲れたので横になった。
「霊的形成の方法を使えば、思い出せる。もっと、意識の深いところまで行けるはずだ。」
そう思って、考えた。意識の感触を探した。
だが、妙なことが起き始めた。精神状態が益々悪くなっていく。
気力が無くなって、しんどくなってくる。
おかしい。
声がした
「生きたい」
「いいことだ、そうしろよ、どうした、どこにいる?」
ドアの隙間から、まずいものが見えた。何か、黒すぎる、負のエネルギーの塊のようなものが。
「だめだ、逃げろ、そこまで!」
飛び起きた。
思い出した。
神に出会うまで、私がいつも苦しんでいた無力感、虚無感だった。
過去の状況を思い出すということは、この無力感が再現されるということだ。
生まれてから19年。
私はこの階段を自分で降ることは出来ない。
だから、思い出せないようになってるんだ。
家族と過ごした楽しい時を思い出そうとしてみた。
何も、思い出せなかった。
家族で何かをしたことが、何もなかったんだった。