霊的虐待を受けた彼女の選択

先日、気になっていた友人に会ってきました(⇒霊的虐待が一つの魂を握りつぶす過程)。連絡を何回か続けるうちに、返信をもらえました。
教会で私と同じようなトラブルに巻き込まれた方です。彼女は結果として、神学ではなく、別の勉強をすることを決めて、現在違う学校に通っています。

久しぶりに会って、元気そうで安心しました。プライバシーに触れない範囲で書いてみたいと思いますが…。


別の学校に移った理由を聞いてみたところ、

「将来、教会で働きたくないと思ったから。
牧師は、教会で働くことだけが、キリストに仕える道だと言うけれども、今勉強していること(医療関係)を通して神様に仕えることができる。
それに、女の人は教会で出来ることが限られている。女の人が教会で働くのは、本当に難しい。
だから、教会ではなく、実際的な技術を身に着けて、宣教のチームに加わったりして、これから奉仕に携わっていこうと思う。」

「今は、信仰のことを相談できるようになった?
前は、元の教会の人に見つかるのを避けて、学校の人にも、自分のことを話すのが大変だったでしょ?誰か、メンターはいる?」

「…居ない。教会で自分が経験したことは、もう話す必要がないと思ってる。
必要がない。そのほかの、一般的な信仰のことについては、教会の人にも話せると思う。」

「今の教会は牧師と話せる?」

「牧師は忙しすぎて、無理。2,000人くらい教会員がいるから。
Talbotでのスピリチュアル。フォーメーションの授業はとても助けになったよ。
カウンセリングには1度しか行かなかったから、役立ったとは言えないけど、続けていれば何か進展があったのかもね。」


…というような内容でした。

これから、違う分野の勉強をして、その専門家になって、将来は神様に仕えていく、と話している彼女は、元気そうに見えて…とりあえず安心しました。

しかし、正直なところ…本当に彼女の、内面の霊的な痛みが解決されたのかは分かりません。
私には、彼女の人生の旅路も、霊的な旅路も知る由もなく、神様だけが、彼女の魂の状況と、彼女に必要なものを知っています。

どこが、何が、最善であるかということは、私には分かりません。

ただ、私自身はとても寂しかったです。

「話す必要が無い」と言っていた、深い苦しみは、これからそこに触れないことで対処されていくのでしょうか。
女の人は、教会では働きが制限される。
そうです、それも本当です。外のほうが…。
仕える道は、いくらでもあるのだから…。

そう。

そうなんだけど…。

痛いほど、何が起きるかは予見できる。

彼女にとっては、新しい選択そのほうが安全で幸せになれる。そう思う。そうなんだ。
そうだから、彼女はそっちを選んだんだ。そのほうが、良いんだ。

教会で働こうと思っても、似たような問題に対峙することになる。
強力な階級制度、学歴、年功序列、見えないが明らかな性差別。
意見すれば罵られ、生意気だと言われ、秩序をわきまえないとか言われて嫌がらせされる。
見えない階層や、差別や、制限にチャレンジして、誰が、そんな十字架を背負うべきだなんて言えるだろう。

孤独で不毛で、長くてみじめな…。

でも、とにかく、彼女のために、自分自身のためにも祈っていこう。
みんなお互いに、何が起こるか分からないけれども、お互いに幸せになれれば、それは良いこと。

神様は、一人一人を助けて、憐れんでくださるのだから。
今日も自分のやるべきことを背負って、進んでいこう。
彼女も一緒に、神様とともに。