批判されているリーダーたちへ:ブレネー・ブラウンの講義から
先ほどアップしたばかりのブレネー・ブラウンの講義からですが、リーダーシップの観点からもう一つご紹介したいことがあったので、記事を分けました。
リーダーになるとは、矢面に立つということです。
責任が無く、自由で、好きに批判できる匿名の観客席から、責任と釈明を求められ、批判され、あることないこと言われて傷ついたセルフイメージにくよくよ苦しむということです。
これまでクリスチャンの活動をしていきたいという方々に何人か会ったことがあります。とても素晴らしい才能と賜物を、神様から与えられていますが、この、「目立っていく」過程でしり込みしています。
ブレネー・ブラウン自身、動画の冒頭の部分で、自分自身の認めたくないところとして「目立つまいと一生懸命になる自分がいること」だと述べています。
リーダーになっていく過程について、ブレネー・ブラウンはこのように話しています。
「TEDがなぜ図晴らしいか分かります?
登壇する人のほとんどが失敗を恐れていないからです。
私が見ている限りでは、登場する人で失敗していない人なんていません。
私は何度もみじめな失敗をしています。
去年私を救ってくれたのはルーズベルトの言葉でした。「競技場に立つ人」として有名な言葉です。こんな言葉です。
「批判する人に価値はない。
観客席から行動した人間を指して、どうすれば良かったとか、どんな風に躓き失敗したのかと指摘するだけの人に価値はない。
埃と血と汗にまみれて努力した、競技場に立つ人に名誉は与えられるのだ。
競技場に立つ人はうまくいけば勝利を得るし、失敗すれば敗北を喫する。
しかし失敗し敗北したとしても、それは果敢に挑んだ結果なのだ。」私にとってはこれこそが、このカンファレンスの意義です。」
参照:ブレネー・ブラウン「恥について考えましょう」2012年5月、TED講演より(URL:https://www.ted.com/talks/brene_brown_listening_to_shame?language=ja)アクセス日時2017年3月26日
私は今、自分の方向性がかなり明確に見えてきましたが、神学校を卒業した5年前、問題を明確にしようと試み始めた3年前は全く見えていませんでした。ここまで来るには、本当にみじめで悲惨な経路をたどり、身近な人を失望させ、沢山の別れたくない人とお別れしました。
何かをしていく過程と言うのは、とても大変です。途中経過の不安定性に耐えるのが大変です。
順調な時はいいですけれど、逆風になった時の困難さと言ったら、本当に恐ろしいです。
それまでは、丁寧な姿勢をとっていた人たちから、厄介者か落伍者のように扱われたこと、数え切れません。
こうすればいいのだとか、あれがいけなかったのだとか、もう色々と。
その中で思ったことがあります。
人には他人が負っている重荷をとやかく言うことは出来ません。
その人が持っている使命についても。
なぜなら、その人の重荷は、神様がその人に与えられた使命であり、その人にしか担うことができないからです。
その人が最適なので、その人を神様が選ばれたのです。
批判する人は、実際その人の立場になれば、批判していた人以下の事しか出来ません。
おまけに、他者が背負っている重荷はその人には託されていないことです。
挑戦するということは怖いことです。失敗が怖いです。
人から「だから言ったのに。」と言われることも。
何度も書いていますが「あなたのためを思って言ってあげる」というありがた迷惑の対処も手に負えなくなってきます。
そんな時、私の頭にはある言葉がよぎっていました。
いつか読んだビジネス書の言葉です。
「あなたが何か始めたら、必ず反対してくる人が出るだろう。あなたが失敗しないようにとか、思いやりから忠告する身近な人もいる。
その段階になったら、すべてを無視しなさい。あなたはもう何かを始めたのだ。振り返ることなく、思う道に進みなさい。」
チャレンジすることは、リスクが大きいです。でも、今始めて見て、批判以上に評価してくれる人たちが多いことに気が付きました。
チャレンジしなければ見えない風景があります。山に登らないと見えない風景があるのと一緒です。
全体が、よりよく見えるようになりますし、活動する領域が変わってきます。
自由度が増すように思います。
だから、ビジョンを持っている人たち、神様から使命を与えられている人たちも、ぜひ競技場に立ってもらえたらと願っています。
競技場に立ってください。
批判する人には、何でも言わせればいいのです。試合をする人間にしか見えないことがあります。
試合に出るだけでも、学ぶことが沢山あるのです。時間が必要です。
試合に慣れていくために、早く競技場に立って、リーダーの素質を身に着けていってください。
どんな球でもいい、投げてみればいいのです。
だれに見向きもされなくても、路上ミュージシャンのように、好きな歌を歌い続けてください。
競技場に立つために、完璧主義は避けてください。
途中経過を人に見せられない人、完璧に仕上げてから出ようと思う人は、いつまでたっても試合に出られません。
ビジネス書好きな人にはわかるでしょう。大事なことは、ベビーステップ、小さな一歩からです。
小さな一歩を積み重ねることによって、方向性が見えてきます。
そして、何かを始めると、全ての人に気に入られるようには生きていけなくなります。
完璧に何かをしようとすると、何もできないままになります。
ブレネー・ブラウンは、公演の最後をこのように締めくくります。
「球を跳ね返せるぐらい完璧になったら、競技場に乗り込んでガツンと言わせてやろう。
これには惹かれます。しかし、現実にはそんな状態になれません。
たとえ最高に完璧になれ、どんな弾も跳ね返せるようになって競技場に登場したとしても、そんな完璧な姿をみんな見たいわけではないのです。
ただ競技場に足を踏み入れ、一緒に向き合いたいのです。
みんなただ自分自身や、自分が気にか掛ける人や、一緒に働く人のために果敢に挑みたいだけなのです。」
このサイトを公開して、分かったことがあります。上のブレネーの言葉は本当です。
人は、完璧なリーダーではなく、果敢に挑むリーダーの姿を求めています。
挑戦するリーダーになる勇気を、持っていきたいと思うのです。
そして、困難にチャレンジしていくクリスチャンのリーダーたちが、一人でも多く立ち上がってくれることを祈っています。
神の使命を輝かせるリーダー達が育つことを、楽しみにしています。
そんなリーダー達を、一人でも多く支援していけたらと思うのです。
ブレネー・ブラウンの本は、日本語にも訳されているようです。リンク張っておきます。