霊的形成のクラス(2017 Spring) 5 – 心理学をやりに来たんじゃない
霊的形成、スピリチュアルフォーメーションのクラスは、家族関係についての授業が進む。
Attachment(愛着)について。親子の間の愛情、関係性が自己認識に与える影響を学ぶ。
Siegelという学者の”愛着と自己認識:子育てと脳に形成される心”(私訳)というの資料を使った。
Daniel J. Siegel, M.D. Attachment and Self-Understanding: Parenting with the Brain in Mind.
UCLA School of Medicine, Foundation for Psychocultural Research-UCLA Center for Culture. Brain and Development, Center for Human Development, Los Angeles, CA, USA
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内容は、子育て、親の愛情表現と、その中で子供がどのような自己認識、アイデンティティを形成していくかというものだった。
今は、その大事さが多少は分かるのだが、授業の時は不愉快さしか感じなかった。
授業が終わって、同じクラスの友人と話した。
「授業が苦痛だ。何をしているのか分からない。あれは心理学だ。一体なんであんな事を勉強しないといけないんだろう?」
「心理学は人の心を理解するのに重要でしょ。霊的形成の授業は、心理学と…神様が作った人の心のことと、聖書のことをつなげようとしているんじゃないかな。」
「そんな事は、分かってる。パストラルケアだって同じだ。分かってる。
でも、イライラするんだ。例えば、授業の中で聖書の言葉を引用してた。パウロの心は開いているって(第二コリント6:11)。
それと同じように、私たちも心を開く必要があると。
だけど、文脈から言って、本当にそうかって思うんだ。釈義から言うともっと、慎重に見ないといけない。
授業の中でも、神学からの説明がほとんど無い。
これじゃ、持って帰って使おうと思っても、牧師や教会のメンバーの納得を得ることができない。…その、何というか、もっと理論が欲しいんだ。神学的な裏付けが。授業の内容が間違っているって言ってるんじゃないんだ。」
「人の心が分からないと、人のケアが出来ないから…。」
「私は、心理学をやりに来たんじゃない。心理学をやってるクリスチャンなら日本にも沢山いる。心理学なら、日本でも勉強できる。そもそも、私はカウンセリングに関心があるんじゃない。私には、心理学の才能はない。」
「でも、神様が導いてくださったから、来たわけだし…。」
「私はリーダーシップを勉強しにこの学科に入った。
心理学やるなら、ここにいる理由はない。」
友人は悲しそうな顔をしたが、これを書いている今も、考えは変わらない。
これからやる科目については、アドバイザーに相談するつもりだが、目的と違う学科にいるのなら、学科を変えるか、ここで学んでいることと目的が結びつかないなら、さっさと日本に帰ろうと思っている。別の仕事しよう。
でも、話していて気が付いたことがあった。
反応しすぎだ。
自分が感情的になっている。
何かに反応している。授業で学んでいる何かに。