霊的形成のクラス(2017 Spring) 6 – 痩せた馬
授業でやっていること、それは家族のことだ。健全なアイデンティティを形成するための、親子としてあるべき愛着関係を学んでいる。
授業を受けながら思ったこと…それは「理想」だ、と思ったことだ。
多分教授は、この健全なあるべき関係性をまず教えて、それから神と人との関係を教えようとしているのだと思う。
でも…多くの人が、こんな家族関係を持てないことを学んだばかりじゃないか、この前のリトリートで。
分からない、昔のことが、そんなに大切なのか?
いつもよくしてくれる霊的形成専門の先輩がいる。
この学期で卒業で、母国に帰ってしまう。
丁度、散歩に行くという時に会ったので、ついて行っていいかと聞いて、一緒に散歩に行った。
「質問があって。」
「ほぉ。」
「霊的形成の授業で、家族の問題を勉強していますが、昔のことを思い出すことはそんなに大切ですか。」
「…大切だねぇ。」
「今朝の話、覚えてますか。私は心理学は興味ないんです。リーダーシップやりたいんです。こんなに、霊的形成でも、パストラルケアでも、カウンセリングみたいなことばっかりやるんだったら、専攻変えようと思って…。なんで、昔のことは大切ですか。」
「家族の、リトリートはこの前出たでしょう?昔のことを思い出すというのは、とてもつらいことだね。痛みを感じる。多くの人は、痛みを感じるのはつらいことだから、地面に埋めてしまうんだ。」
「せっかく埋めて、痛みを忘れているのに、また掘り返すの?なんで?」
「埋めて、忘れているつもりかもしれない。でも、消えてはいないんだ。何かが起こると、埋めたつもりの昔の傷が目を覚まして、私たちの考えや、行動に影響を与えるんだ。痛みに向き合うのは大変かもしれない。昔は、その痛みを受けるだけだった。でも今度は、その痛みに神様と一緒に向き合うんだ。それでも、傷を治していくというのは、大変。だけどね、今度は、受けた傷を違う視点で見ることができるようになるんだ。
受けた傷は、ただ痛みだけで終わるのではなく、その中に意味が見えるようになってくる。聖霊が導いてくれるんだ。そしたら、今度は現実世界で、その昔のことを刺激されるようなことが起きても、もうこれまでのように、過剰に反応しないで受け止められるようになる。霊的に、強く成長することができるんだよ。」
「私は難しい教会で働いていた時に、小さい頃の行動パターンで、その難しい状態を乗り切りました。感情を殺したんです。その教会の環境が、私が育った家庭環境と似ていたんです。自由が無く、いつもお前はだめだ、お前には力がない、お前はこんな無力でみすぼらしいやつなんだ、って言われ続けました。それはまるで、アルコール依存の家庭で過ごしていた時の小さな頃と一緒でした。逃げられなくて、いつも無力だってことを感じました。それに、汚かったんです。その教会は暗くて、汚くて、ネズミの糞だらけでした。私の母は掃除をしなくて、ゴキブリやネズミが辺りを走り回っていました。何かを感じることはつらかったんです。」
しばらく先輩から質問と状況説明。
「そこから出ようと思ったことは、相当勇気が必要だったんじゃないかな。」
「そうですね、でも出ざるを得なかった。出ないと、ここに来る試験も受けられなかった。」
「もう十分だよ。あなたがそこから逃げることは正しい判断だったよ。でも、今向かい合っていることから逃げようとしたらいけない。」
「?」
「メジャー(専攻)変えたらだめだよ。」
「…」
「自分がスピリチュアルフォーメーションの研修を受けたときはね、3週間あったんだけど、スピリチュアル・ディレクターがついてくれて、こんな話をしてくれたよ。
悲しみっていうのはね、痩せた馬(bony horse)なんだ。
乗った初めは、乗り心地が悪い。骨ばってるから、お尻が痛くなる。
でも、その痩せた馬はちゃんと家まで連れて行ってくれるんだ。
神様の家にね。
悲しみや、痛みは悪いものではないんだよ。
それは、ちゃんと帰り道を知っている。
乗っていれば、神様の家に、届けてくれる。って。」
「そんな馬に乗らなくても、歩いて帰ればいいのに…。」
「まぁまぁ」
「…どうして、悲しみなんでしょう。どうして、悲しみが神の家への道を知っているのでしょう?」
「さぁねぇ…。まぁ、あなたの心の中の傷がしっかりと回復して、十分元気になった時が、日本に帰るときなんだよ。ここは安全。安心して、自分に向き合うことができる。だから、今はしっかり傷を治すことだね。」