霊的形成のクラス(2017 Spring) 11 – 間違った物語

今振り返れば実家にいた時の私と言うのは、生まれてから18年余りそんな環境にいたため、中学、高校時代には半ばうつ状態だった。

無気力に支配され、生きていたくないと思っていた。
思えばずっと、生きることを否定され続けてきたのだ。
存在の無視、意見の拒否、尊厳の否定。

親は十分に面倒を見たと思っているのかもしれないが、育児家事、愛情表現を放棄した環境から受けたメッセージは、否定的なものしかなかった。

自分は無能であり、逃げることも、変えることも出来ない。面倒なゴミであり、ゴミの中でゴミのように扱われて当然の。
いつも汚れて不衛生な服を着て、朝も夕もアルコールのにおいがする汚くて暗い家に住んでいた。毎晩のように夫婦喧嘩、叫び声、泣き声、怒鳴り声、借金の回収に、罵りあい。

食べ物を食べなくなった。お腹が空いたという感覚がなかった。
感情を持たなくなった。感情などと言うものは、生きる苦痛を増す感覚でしかなかった。
何も期待しなくなった。アルコール中毒の人間には、確かな約束などなかった。
無力感に支配された。何をしても無駄だと思った。

意見すれば、親は怒り私のことをわがままだと言い続けた。昔からわがままだと。

私は学校でも人を避けた。明るいこと、楽しいことは私にはいけないことだとおもった。
帰れば混乱と怒りが待っている。一時的に楽しい気持ちになって、苦しみが大きくなるくらいなら、何も感じないほうがましだ。
どんな喜びも、苦しみを長引かせる苦みにしか感じなかった。帰れば現実が待ち受けている。
何も感じないほうがいい。その方が、精神的に安定する。


高校を卒業して、逃げるようにして家を出た。
雨の日の朝、一人でバイクに乗って長崎に行った。前の晩、天気予報を確認して、弟にお別れを言ったのは覚えている。
それからはずっと、外で生きている。

大学に行って(学費は、学費減免とお世話になったクリスチャン夫妻のサポート)、クリスチャンのご夫婦に拾われて本当に良かった。生まれて初めて、自分のために、大きなケーキを買ってもらった。洋服も、買ってもらった。自分の意見を聞いてもらえた。一緒に笑うことができた。ライオンさんは、自分が小さかった時の話を沢山してくれた。奥さんのIさんは、おいしいご飯を私のために、沢山作ってくれた。楽しむことを許してもらえた。家はいつもきれいで、温かかった。自分の存在が大切だと言ってもらえた。

もったいないくらい幸せだった。


大阪でストレスが大きくなり、昔の行動パターンを再発させる引き金になった。

食欲が無くなった。何日も食べなくても、お腹が空いたという感覚がなかった。
まるで奴隷だと言わんばかりに扱われ、意見は無視され、自我が死んでいないの、わがままだのと言われ、仕方がないので任期いっぱいは我慢した。良心の呵責や矛盾に耐えながら、そして、ライオンさんが死んだ。

思えば、私は、相変わらず母の物語を生きていた。
母の世界観、価値観のままの自己認識を生きていた。

お前は要らない存在で、男じゃないから何をしても無駄で、生きていること自体が呪いで、世間の邪魔で、世界と戦わなければいけなくて、誰も自分のことをわかってくれなくて、自分はかわいそうな悲劇のヒロインで、みんなが私を責めていて…母の物語だった。

生きていることは祝福で、神様がこの世界に私を招かれ、自分の存在には意味があり、助けてくれる霊の家族がいて、独りぼっちではない。感情は生きるために大切なもので、コミュニケーションをするために、必要。