霊的形成のクラス(2017 Spring) 8 – 手掛かり
リトリートの時に、昔のことを思い出そうとして、精神的にひどく落ち込んで無気力状態になった。昔の記憶と一緒に、当時の精神状況を思い出したからだ(霊的形成のクラス(2017 Spring) 2 – 思い出せない)。
解決しなければ、教会の働きに戻れない、落ち着かない。何か何か、どうにかしなければ。
「神様は私をこの科目に置いたのか。それが必要だからか、あぁきっと、必要だろう。私には、回復しなければ、取り組まなければいけない問題が沢山あるからだ。でも、カウンセリングだけ学ぶつもりはないぞ、違う、違うんだ、私がやりたいことは。…アカデミックアドバイザーの所に行こう。そうしよう、それできっと指針が得られる。でも、おかしい、冷静さを失っている。どうしてだ。
過去のことに取り組むように、と霊的形成のクラスで指導されていることは、図星だからだ。パストラルケアの授業で分かったように、心の深いところの歪みを治さなければ、私はそれを、別の人や出来事へ反映させる。何に反応した?愛着…?」
こんなことをずっと考え続けた。
つまりは自分の過去の問題に取り組んでみないといけないのだ。
手掛かりを探した。
前回さかのぼって、ひどい思いをした道はやめよう。もっと、簡単な事から思い出すんだ…神様と一緒に、神様についてきてもらって…。
思い出したことがあった。
父親の折り畳みナイフをいじっていて、ナイフが急に戻ってしまい、親指をかなり大きく切ってしまったことがあった。
今でもその傷が残っている。
ものすごく出血した。でも、誰にも言わなかった。親のことは頭の隅にも思い浮かばなかった。
自分で何とかしなければならないと思ったから。結局自然に治るのを待った。
持久走の練習で、転んだことがあった。その傷もまだ残っている。コンクリートの道路の上で転んだため、かなりひどかった。
それも、必死に言うまいとした。結局涙目で震えていたのでばれて病院に行った。
なんで言わなかったのか?言うまいとしたのか?
何かあっても、親のことが浮かぶ関係になかった。頼りにならない、自分で何とかしなければという思いが第一だった。
一度も、母親と洋服を買ったことがなかった。自分にために買ってもらった洋服は、貴重すぎて覚えているほどだ。
会話した記憶がない。するとすれば、死に物狂いで怒っているいる時くらいだった。
そうしなければ、母が何かを聞くということはなかった。例え激怒しても、母が何かを聞くということはなかった。