霊的形成のクラス(2017 Spring) 9 – 怒ってる?

家族のことで手掛かりがつかめないので、ある人に相談した。

その人は、自分の問題でカウンセリングにかかった時の話をしてくれた。

「人間関係の問題で、鬱の症状が出てしまってね、ずっとカウンセリングの人に話を聞いてもらったの。そしたらね、私が大切にしたいと思っていた人が、実は私を憎んでいるのではないのか、ってことに気が付いたの。
それはね、カウンセラーの人が指摘してくれたの。私は、その人のことを、かばいながら話していたみたいなのね。でも、カウンセラーの人が、客観的に聞いていて、とてもその人があなたのことを愛しているとは思えない、って言ったの。あなたを憎んでないか、と。
それで、はっとして、考えてみたの。これまでのいろんな事考えてみてね、結局、私が必死にしがみつこうとしていた人は、私のことが嫌いだったってことに気が付いたの。憎んでたの。
その後、実際にその人から、私のことを憎んでた、ってことを聞いてね、本当だったってことが分かったの。
それが分かってからというもの、心の中では納得がいってね。でも、それと同時に怒りも出てきた。その怒りにどう対処していいのか、実は今でも分からない。
でもね、それでも前の状態よりはいいと思ってる。
その人のことを、何とかいい人だと信じようとしてきたの。少しのことにしがみついて。
だけど、怒ってたのよね、心の中では…。でも、怒っちゃいけない、まさか憎むなんてとんでもない、いい人なんだから、私のことを愛しているはずなんだって思いこもうとしてた。」

それを聞いて考えた。

「怒っちゃいけないと考えてるか?怒っているのか、親を。」

涙が出た。

「(怒っちゃいけない、もちろんさ。だって親なんだもん。親だっていっぱい苦労して、育ててくれたんだから、それに、優しくしてくれたことだって、あったじゃないか。そうだ、親だって人間だから。それに、信仰も持っていないんだから。父はアルコール中毒で、まともじゃなかったんだ。お酒のせいなんだ、病気だったんだ。母だって、大病したのに、頑張って生きてくれた。だから、だから。怒っちゃいけない…。もう十分に怒ってきたじゃないか、クリスチャンになったんだ、だから、親を大事にする気持ちを育てなきゃいけないんだ。どうして、憎めるもんか。)」

歯を食いしばって、涙を拭いた。

そうだ、これが自分だ…。

「話を聞いていると、あなたはまるで共依存の人みたいだよ。どうして、そんなに痛みを受けたところに戻ろうとするの?」

共依存?自分が。

それはない。

…でも、これだけ痛みを受けて、やっと自由になって、また同じ環境に戻って、同じ目に遭ったら、自分は共依存ではないって言えるか?何を好き好んで戻ってきたと?

…どうして、親のことをそんなに気にするのか。

…彼らは、私を愛していたのか?どうして私は彼らの、わずかな愛情にしがみつこうとするのか。もう、とっくに彼らのことは諦めたはずじゃないのか?彼らは私を愛していたのか?愛しているとは何なのか。