長いこと、投稿お休みしてしまってすみません。

題のまんまなんですけど…すみません、本当に。

毎日書くぞーとか言いながら、ねぇ。今期末試験前で泣きながらレポート書いてます。

応募してたアルバイト2つ不採用通知来て、泣いてます(泣)。

何かね、でもね、まぁいいかなって思えるようになりましたね。
以前は、試験がうまくいかなかったらどうなるんだろう、とか、留学出来なかったら、どうなるのか?とか色々考えました。
今も、学資が確保できなかったらどうなるのか、とか、卒業できなくて途中で帰ることになるのではないか、とか、考えて不安になることがあります。

でも…、何かもういいかなって思うんです。

やはり、TOEFL試験で苦しみ、アルバイト生活をしていた去年の苦しみの中で、信仰的には変化したものがありました。
それまでは、自分の願いがいかに、神様の役に立つかと言うことを自分に言い聞かせながら、神様にも訴えながら…ストレスに苦しみましたが、TOEFLの最後の一回の時は、もう何にも策がないので、「どんな結果になっても、あなたについていくことができますように。」と祈ったことを覚えています。

試験をパスした時に学んだ姿勢でした。

その後、アメリカに渡る直前私は交通事故に遭い救急車で運ばれました。
体が動かなくて、ベットに5日ほど寝続けました。
もしも、首の骨が折れていたら、もう何もかも駄目になるところでした。
沢山の人の応援も、努力も、苦労も何もかも、自分の不注意のせいでだめにするところでした。

ベットの上で激痛に苦しみながら、考えました。

どれだけ努力しても、悩んだとしても、これまで積み上げ、与えられてきたことは、自分の力で成し遂げたことじゃなかった。
見ての通り、一瞬のことで、何もかもを無駄にするじゃないか。

神様が、これまで、恵みを下さったから、生きてきたんだ。
神様の助けなしに、どんな道が開いたというのだろう。

私には、信仰がない。
どうして、先輩方のように、単純に信じていることができないのだろう。

始まりも終わりもすべて、神様がなされるのなら、心配することをやめよう。
私は、心配しすぎだ。そのことを、怒られたのだろう。

幸い事故の被害は少なく、本当に神様の哀れみにより事なきを得ました。
その二つの出来事を通って、何か少し、自分自身の信仰が少し変わったように思います。

いつまでたっても、不安定な生活は変わらないけれど、信仰を持って13年、心配が役に立ったことはなかった。
必要なものはちゃんと与えられたし、ちゃんと色々なタイミングに神様は間に合わせてくださったし、振り返ってみれば、どんな最悪な出来事だって、成長のチャンスに変えてくださった。

だから、これからは歩き方を変えてみよう。

心配しないでいてみよう。
それで、自分の思い通りにならなくても、もういいや。
ここまで来たのだから、もう満足だ。

自分の力で来たのではないということが、良く分かるから、神様の助けなしには、来ることができない道だったから、神様が望まれる所に導いてくださるだろう。それが例え、自分が望む道でないとしても。

神さまが開いてくださる所に歩いて行こう。