霊的形成のクラス(2017 Spring) 13 – 逃げよう
霊的形成のクラスは辛い。過去のことを掘り返すものだから。
今日教会に行ったら、あの、猫の話の続きはどうなったの、と言われた(→霊的形成のクラス(2017 Spring) 12 – 猫に話しかける)。
あの話以降、投稿が途切れた。その後の続きはあるのだけど、ダーク過ぎて書けなかった。
このシリーズ無かったことにして、別の記事続けようと思った。でも、多分ここ書かなかったら、後の話の意味が分からなくなるだろう。
はて、これは書いて誰かのためになるのだろうか。不快になるような内容しかない。
霊的形成は、神の似姿としての自分を回復していくための過程。自分の人格を形作っている、間違った自分に対する思い込み、行動パターンに気づいて修正していく。Talbotの指導方法には、ここに心理学が組み合わされている。
私の現在のメジャーはパストラルケア&カウンセリング。リーダーシップを学びに来たのに、何か別のことに足を突っ込んでいる気がする。
メジャーを変えようと本気で思っている。しかし、この分野から学んでいる部分もかなりある。
メジャーを変えようと思っている理由は他にもある。実はこの分野が心理的、精神的にきつい。
カウンセリングのクラスでは、自分の心理状況を徹底的に扱う。私は、もう自分の心理状況について掘り下げたくない。
掘り下げて何かいいものがあると思えないからだ。自分の心は知らなくたって、牧会は出来る。
日本では、自分の過去を点検することなんて、神学校教育になかった。
過去のことにこだわるなんて、後ろ向きで自己中心で不信仰だと言われなかったか。
でも、Talbotは真逆の考え方をする。自分の歪んだ行動パターンや、自己認識を神の子供としての健全なアイデンティティにしなければ、必ず牧会に支障を及ぼす、と。その考え方は、かつての神学校教育を受けて卒業した神学生達の結果を踏まえて、生み出されてきたものだ。
卒業した神学生たちが、律法学者みたいになっている。人の心と魂のケアが十分にできていない。それはなぜなのか。神学生たち自身が、在学中に神とともに歩む、豊かな関係性を育むということを学んでいない。パーソナリティの問題が解決されないまま、知識だけを得て牧会に当たっている。その結果、人格的に歪んだ牧会者が生まれ、牧会の現場で問題を起こしている。誠実な牧会者も、理想と現実のギャップを埋められないまま苦しんでいる…、そのような反省から。
霊的形成と、パストラルケアは、特にこの心の問題を集中して扱う。
私は…別のメジャーに…逃げたい。
逃げたいというのは、語弊があるが…逃げたい。もうやりたくない。
大事だというのは分かるのだが、私がやらなくてもいいと思ってる。
じゃ、変えようよ、と思うのだが、内心分かっている。
「逃げるな」と、何か恐ろしい声がする。