先生と私の最後の日1 – 恩師

迷う時は書けなくなる。

でも、今日、このことは書いておかないといけない。

私にはK先生と言う恩師がいる。初めてお会いしたときは、88歳だった。
私が鼻垂れ神学生だった、いや、そもそも神学生とも呼べない状態のころから私を育ててくれた。

神学校に入学した時の私とは、まず、何も知らない。懐疑的、批判的、根暗、反逆的、気弱、臆病なにかもう、そういうものの塊だった。
そういう素質は今でも変わらないけれども、K先生は、私に失望することはなかった。

いつも、私が来るのを待っていてくれた。
振り返れば恥ずかしくなるような、訳の分からない質問を記した先生との交換日記は、3冊にも及んだ。

入学して半年で、私は10キロ痩せて、起き上がれなくなった。
私は、長崎に帰ろうと思った。今思えば、帰れば絶対に神学校に戻ることはなかっただろう。

結局、許可が下りずに帰れなかった。
後で知ったことだが、K先生が、「池田さんはまだ続けられますから、帰らせないように」と言っていたということだ。

体調を崩したときは辛かった。人生で初めて、体が言うことを聞かないということを知った。
歩けなくなるほどの頭痛が長期化し、脳腫瘍まで疑われ、自分でももう治らないかもしれないと思った。

そんな時、先生は「大丈夫、絶対に治るから」と言ってくれた。

あらゆる医学の知識を教えてくれた。先生は健康マニアだったから。

なぜか、話すといつも私が笑っていた。
先生の話は、大まじめだったが、ユーモアがあった。

ただ一人、私が神学校のあらゆる矛盾に悩み苦しんでいた時、初めて、自分で考えることの大切さを教えてくれた先生だった。
「しかし、すべてのものを見分けて、良いものを堅く守りなさい。」第一テサロニケ5:21

難しいインターン先に行くときは、心配してくれた。
毎週、電話をしてくれた。

自分が先生のようになれないことは、良く分かっていた。
すごいなぁ、と思っていつも教えを請いに行っていたが、自分はそもそもひねくれ者で、豹がヒョウ柄を変えることが出来ないくらい、自分は先生のようにはなりえないことを知っていた。

でも、聖書には「 弟子はその師にまさらず、しもべはその主人にまさりません。」マタ 10:24と書いてあるから、それでいいやと思った。

インターンから帰るとき、次郎長傘を持って帰った。知り合いになった柔道の先生がくれたから。
その傘を先生に見せたら、卒業記念にと言って、傘の裏に字を書いてくださった。

「わたしの上に主の御霊がおられる。」ルカ4:18

以来その傘は、私の宝物で、どこかに引っ越しをする時は必ず最後に持って行った。
傘を見るたびに、どんなに難しい所に行こうとも、必ずやり遂げて帰る、という希望を思い出した。

卒業して、父親が病気になった時、先生は帰省しなくて良いと言った。
神様にお任せしなさい、と。
私は、初めて先生に対して怒って、先生の言うことを聞かずに帰省した。
でも、先生は変わらず心配して電話をしてきてくれた。
星空がきれいだった。流れ星が二つ流れたのを覚えている。

反抗しても、先生は怒るようなことはなかった。

「あなたは、良くできるのだから」と言ってくれた。

卒業の時に、将来留学したいと思っている、と言ったとき、ただ一人信じてくれた。
ずっと、応援してくれた。
無謀な夢を、信じてくれた。

「謙遜でありなさい。」
それが、神学校を卒業するときに、先生が与えてくれた言葉だった。

厳しく指導することはあっても、人格を否定するようなことはしなかった。
話すことを、真剣に聞いてくれた。話す人の話に集中して、先生自身のことを話すことはなかった。
話すのは、指導に関することだけだった。

だから、最近先生がどんな生活をしているのか、電話が終わると、知っていることは何もなかった。
尋ねても、元気よ、心配しないで。と言われるだけだった。

一年に一回は、どこにいても必ず会いに来ます。と言って卒業した。

毎年会えるか、心配だった。
いつも、力強い握手で送り出してくれた。

難しい教会に転任になった時は、週に二回話していた。

あぁ、一体、どれだけ支えられてきたことか。

先生は、実のところ経済的にも支援してくれた。
働き始めで、移動費もないようなとき、実際的な支援をしてくれた。

私が学んだことは、先生から学んだこと。
信仰の姿勢も、何をするのかと言うことも、自分はひねくれものだけども、自分なりにまねをした。

アメリカに来るときには、目がほとんど見えないのに、ずっと先まで見送りに出てきてくださった。

先生は、よく生きてくださった。10年も、先生と過ごすことが出来た。

分かっている、今度は自分が、与える番なんだって、教えられたことを実践する番なんだって。

でも、私には、まだ精神的な支えが必要なんだ。自信がない、真っ当な答えなんて出来そうもない。
でも…分かっている、自分で立たなければいけないんだって。

TOEFLが通らなくて、もう諦めようと思ったとき、先生は「今年が駄目なら、来年頑張ればいいじゃない」と言ってくれた。
その一言で、肩の荷が下りた。
試験に合格したとき、真っ先に電話した。本当に喜んでくれた。
ずっと、ずっと信じてくれたのは先生だった。

教会での立場を失って、アルバイトの仕事をしていた時も、信じ続けてくれた。

私が、道を失って、混乱して、どうしようもない状態でも、先生はずっと信じてくれた。

だから、今、ここにいる。
一人の、女性の信じる力で、私はここにいる。

信じてくれる人がいるから、大事にしてくれた人がいるから、沢山愛を注いでくれた人がいるから、何度も立ち上がることが出来た。
諦めないでいることが出来た、戦うことが出来た。

分かっている、今度は、自分の番なんだって。
だけどこんな、だけどこんな、へなちょこの状態で、どうか置いて行かないでほしい。
分かっている、自分の番なんだって。
先生は、走りぬいたのだ。何も、思い残すことはないのだ。

ただ私だけが。