自由と独立

期末試験期間中。なぜ忙しい時期に書き始めるのか、自分でも意味不明。
しばらく更新してない、すみません。

ある先生からですね、サイト見てくださったみたいなんですけど、
「人事としては、これを見たら採用はしないよね。もっとうまいやり方を考えるべきだよ。」と言われました。

見てくださいと頼んだわけではなく、私が考えていることを知ろうとして見てくださったみたいなんですが。

それからね、色々考えたわけです。
自分はアメリカで働きたいわけでもないしなぁって。

批判されるくらいなら、別にサイト自体、無くてもいいがなと思ったり。

果たして、採用されるとか、自己アピールを考えてこれを書くべきなのだろうか?
自分の進路の障壁になる可能性があるとしたら、もうちょっと書く内容を考えたほうがいいのか。

正直なところ、そんなことはどうだっていい。もともとそんなつもりで書いてない。
どうだっていいというわけではないだろうが、なんかどうでもいい。

思い出した、組織の息苦しさ。自由に考えること、発言すること、行動すること、制限だらけだった。

そんなところにまた戻って、なにかしようというのか?
あぁ、いやだなぁと思った。

自分が大切にしている価値観がある。
自由と独立だ。

何かに依存する、左右されるというのは、生命の危機レベルに脅威を感じる。
このセメスター中、カウンセリングにかかって、何が自分の価値観を形成してきたのか知ることができた。

自由と独立、それはこれからも変わらない。

自分は何かである前に、自分でありたい。

いろいろな人の期待を押し付けられることがある。
「こうでなければならない」とか「こうであるべきだ」とか。

「牧師ならこうでなければならない」「信仰者ならこうあるべきだ」「良い信仰者はこうあるべきだ」

満足させてあげられなかった。

ある日カウンセラーにこういわれた。
「その人たちを満足させてあげる必要があるんですか?」

…無いか。

満足してもらいたい人がいるとすれば神さまだけで、神さまはすでに十分私に満足している。

教会に戻って働くことを目指しているけれど、でもそれにも執着しなくていいのかな、と大学での召命の授業を受けて考えるようになった。

私が目指しているクリスチャン像は、牧師ではない。
自分自身であることだ。

それは昔から。神さまがそれでよいと仰るなら、そんな私に牧師で働く道を与えてくれるのだろう。
そうでないならば、別の道でいい。むしろ、そのほうがいい。

自分は本当に昔から、人に関わるような器じゃない。
好きなことをひっそりとやって、自己満足する。
何かになびくつもりがない。
何かの型にはまる気も無い。

こだわりもないが、何かになることもない。ある意味最上級の頑固者だと思う。

なんかこう、立派に見せるということは、やれば出来るんだと思う。

でも、なんていうかな、サウルの鎧みたいに、肌に合わないんだ。
だれかの理想なんて、重すぎて着てられないんだよ。

自分の中には理想がある。
神さまについていく自分として…自分は正直でありたい。

順調なときも、逆境のときも、自分に正直でありたい。
ナメクジのような自分を許して生きたい。

それが人を傷つけようが、不快にしようが…それは私の問題なのだろうか?

人を傷つけまいと、いつも気をつけているが、人の期待にはいつまでたっても応えることは出来ない。
人は、満足しない。

私は人を傷つけてもいいのではないか。
相手の不愉快の責任を私が取る必要ないんじゃない。

私は私の自由を生きる。
ずっとずっと、自由と独立を手に入れるための人生だったような気がする。

私は、牧師である以上に、クリスチャンである以上に、
神の前に一人の人間でありたい。

自由のためには、払う代価も多い。

よく、どんな信仰者でありたいかと考えると、ミュージシャンのようでありたいと思う。
自分の世界を自由に表現する、好きな歌を好きに歌う、自由な鳥のように。

それで評価されたとしたら、おまけみたいなものだし、
評価されないとしても、べつに自分で好きなことをやっているのだから、何の問題があるのか?

ただ、自由に生きるためには、自分の生活基盤を支えるだけの努力をしないといけない。
リスクを払う覚悟を決めないといけない。不安定な未来を受け止める。

でも、なんでだろう、そのほうが自分には合っている。

 

二つの道の狭間で迷う。

理想的な信仰者として期待されているように生きるか、これまでの通り、ありのまま生きるか。
前者を取ると、なんか色々成功する可能性がある。少なくともうまくいく確率が上がる。
後者は楽だが、型破りでいつも色々言われる。

実際のところ、迷うべくも無い、後者しか選択できない。

出来ないから、ホンとに。
自分じゃない何かなんて、サイズ違いの服みたいだ。

出来ないことで迷うべきじゃない。

ぐうたらに生きよう。それでいい。

がっかりする人にはがっかりしてもらったらいい。

だけど、気がついたら、いつも沢山の人が周りにいる。
いつも、沢山の愛を受ける。
気がつけば、人をケアしている。

私は忙しい…。一人また一人と助けを求める人の声が届く。

私は忙しい。