兄弟姉妹とかいう呼び方は日本特有らしい
カウンセリングで「家族」のイメージを改善している。
昔から馴染まなかった「兄弟」とか「姉妹」とかいう呼び方。
あれ大嫌い。
教会に行き始めた頃「◯◯姉妹」とか呼ばれるのすごい嫌だった。
そもそも、自分が家族の一員になるという考えがものすごく嫌いだからだと思う。
自分にとっては「家族」とは逃げられない檻だった。
なぜやっと自由になったのに、再び自ら好んで檻に戻るのか?
神の家族になるという概念も、元のイメージが邪魔して理解困難。
クリスチャンとしては、僕か兵隊のように黙々と働ければ良いと思っていた。
振り返ってみると、教会で体験した「姉妹」時代、神学生時代、神の家族なんて言いながら、
家族の絆なんて感じなかった。
何ていうのか、教会に行き始めて、教会の働きに関わり始めた時、すごくクリスチャンの人たちは失礼だと思った。
一般の社会でも尊敬される、私自身の私生活、考え方というものに干渉してきた。
なんか、姉妹なんて呼ばれた途端に、指導対象になって、こうしなければならないとか、こうであるべきとか。
「姉妹」なんてラベル付された日から、教会の日本ならではの教会ヒエラルキーの中にランク付されて、発言力が変わってくる。
なんか、そういうことを、カウンセリングでも思い返しながら…。
でも、アメリカに来て、なんかフラットなクリスチャン文化を見ることが出来た、知ることが出来た。
それは、すごく感謝するべきことだと思った。
カウンセラーの人に聞いてみた。
アメリカでは、お互いに「Sister ◯◯」とか、「Brother ◯◯」って、教会で呼びあうんですか?」って。
カウンセラーさん曰く「いいや。名前で呼びます。家族でもSisterとかつけて呼ばないです。」
そうだよ、家族でも◯◯姉妹なんて、呼ばない。
呼ばないでしょ、自分の兄弟のこと、太郎兄弟、とか花子姉妹、とか。
じゃあ、普通にさん、とかニックネームで呼んであげたほうが、まだ家族らしくない?
なんか、親密さ生まれる?「姉妹」とかつけて。
不気味なカルチャーだよ、傍から見て。
アメリカにある日経教会で、兄弟姉妹の呼び方しているところは、今のところ見たことがないです。
私が行っている日系教会では、牧師先生は教会員のことを「さん」で呼んでいます。
「映画とかで、シスターとかブラザーとか呼び合っているのを見たのですが、あれはカトリックでしょうか?」とカウンセラーの方に聞いたら、
「多分…カトリックではなんかそんな文化があるのかもしれないですね。」
「韓国教会ではどうですか(カウンセラーの方は韓国系アメリカ人)?」
「あんまり聞いたことないですねー。そう呼んでいる所も少しあるようですけれど、少数のようです。」
中国の教会に詳しい人にまた聞いてみたら、中国では兄弟姉妹という呼び方をつけるらしい。
アメリカに兄弟姉妹の呼称のカルチャーが一般的でないとしたら、日本のあれは、どこから来たの?
てっきり宣教師が持ってきたと思ってた。
(日常会話でBro.とかSis.愛称でつけることはありますよ。「よぉ、兄弟!」みたいな感じで。)
まぁ、あれだ、自分は「姉妹」とか呼ぶ教会にはもう行かん。
自分は基本的に教会でも「さん」で呼ぶようにしていたし、教会員の方にメールをするときは「様」で書いていた。
日本でも、海外とつながりのある教会では「兄弟姉妹」はあまり使っていなかった。
前ね、牧師先生が引退した途端に、「兄弟」って呼び出した先生がいて、嫌だった、そういうの。
引退された先生も嫌だったろうし、なんかさ、そういう呼称でランク付けされるようなの、初めから無い方がいい。
「先生」って呼ばれるのも、文化だからそうしていたけど、自分で変えることが出来るなら「先生」とも呼ばれない教会文化を作りたい。
「さん」でいいよ、本当に。
私はこだわりは無い、本当に。
こだわりがあるとしたら、コミュニケーションを阻害しない方法を取るということだけ。
相手を尊敬する方法で話を聞きたい。
相手が神さまに繋がることが出来るように、話をしてなにか、見つけてくれることが一番の目的だから。
なんと呼ばれようと、実力で語ることができればいい。
先生だろうと、姉妹だろうと、さんだろうと、相手が求めている慰めや助けを得て、帰ってくれればそれでいい。
立派な肩書を持っていても、先生と呼ばれていても、
周りの人を傷つけてばかりの、公害のような人間だったら何の意味もない。
誰も近くに来ないような働き人では、意味がない。
あぁ、でもね、教団離れて、急に、さんとか呼んでくる人いたね。
だからさ、ややこしくなるんだよ。変なランク付けが教会内にあると。
日本特有らしいやないの。
もうすこし、フラットな教会文化を作りたいです。
みんながね、活き活きと、神さまの恵みを楽しんで、外に向かって働きかけていく、そんな文化にね。
ぐるぐるしているけど、「姉妹」とか呼ぶ教会には、本当にもう行かない。
もうなんというのか、その空気が、価値観が抑圧的な教会の文化を思い出させます。
「家族」だから、自分の所有物的な。
私はさようならする。永遠に。
私は自由になった。
自分の道は自分で決める。