傷ついた牧者たち
ヘンリーナウエンが「傷ついた癒し人」という本を記していますが…まぁ、なんか似たような。
このサイトの中で私は独裁的な困った牧師に対してよく文句を言っていますが、逆のパターンもあります。
教会員によって、牧師、伝道者が痛めつけられるパターンです。連絡が来るのは教会員からと伝道者から、割合が半々くらい。
私がトップダウン型の教団にいたため、教会員の方が相談に来るケールが多かったですが、会衆制やバプティスト派など、教会員の力が強い教会からは、牧師や伝道従事者から連絡が来ます。
あのね、牧師を大切にしない教会員の方々。
牧師も伝道者も、人間なんですよ。
スーパーマンではないんです。
牧師も霊的、精神的ケアが必要なんです。元気が無いときだってあるんです。
牧会がうまく行かなくて、人知れず苦しんでいるのは牧師、伝道者なんです。
牧師にも休みが必要、安全に生活できる環境が必要です。
よく見られるパターンが、
- 牧師は貧しく生活するのが当たり前だと思っている
- 世間一般並み、それ以上の生活水準を得るなんてあり得ない
- 休みを取るなんて贅沢だ
- 休暇?あり得ない
- 牧師婦人は奴隷
- 牧師婦人のプライバシー、個人としての人格を蔑ろにする
- とにかくダメ出しする
- どれだけ叩いても潰れないと思っている
- 私が先生を教えてあげなくちゃ、これじゃだめ!!!
教会で明るく見える牧師、伝道者の方々がどれだけ裏で泣いているか、魂が血まみれになっているか、分かりますか。
牧師、伝道者の方、次のような症状が出てきたら、心が負傷しています。
燃え尽きる前に、教会が荒れる前に、なんとかセルフケアをするか、治療をしてください…。
霊的な力を失わせる危ない症状
- 頑張ろうと思っても、やる気が出ない
- 脱力感
- 笑顔が消える
- 未来が見えない
- 感情をコントロールできない
- 当たり散らす
- 怒りが常にスタンバイ状態
伝道者に対して、あまりに厳しい生活環境を強いるというのも、何か一つの日本的な特徴のような気がします。
韓国系の団体も、ちょっと似たようなところがありますが。
ちゃんと個人としての生活環境を尊重する教会は、発展します。
伝道者、牧者に対して、専門的なサポートが必要だと強く思います。
ある意味、プロフェッショナルの分野だと思うんです。
彼らが自分の弱点や弱さ、痛みに向き合えるところ、関係が必要です。
ずっと「伝道者らしくしなければならない」と考えて努力し続ける牧者がどうなるか、2パターンあります。
- 自分の否を認めず、人を傷つける有害牧師になる。批判を避けるために強権リーダーシップによって、自分を守ろうとする。
- 自信を失い、元気がなくなる。家庭が暗い、家族も傷だらけ。悪くすると、鬱になる。
どちらにしても、苦しみの結果です。
弱音を吐けば叩かれる。信仰を疑われる。ご主人、牧師からは無視される。牧師は殻に閉じこもる。教会員からは上から目線で、注意される。役員から非難される、怒鳴られる。謙遜でいなければならないと思うから黙る、よくわからないけど謝る。自尊心はズタズタ。信仰の喜びも感謝も感じられない。神さまに怒っている。でも、感謝しなければ、喜んでいなければ、と無視し続ける何か。
=元気がない。
そりゃそうです…。
あのね、私のところに来る人…魂の傷が目に見えたら、全身打撲傷血まみれですよ。
でもね、ちゃんとケアしてあげたら、元気になるんです。
傷んでいる部分に目を向けて、癒やされて、自信を取り戻していけば。
自分の傷んでいる部分を癒やしていく過程も、大切なミッションだと思うんですよ。
そうすると、魂が豊かになっていきますから。魂が豊かになると、人をケアする能力も向上します。
思うんです、痛みに目を向けることは、祝福への入り口だと。
神さまが、愛する働き人のために、深い魂の世界へと招いておられるのだと。
自分の霊に向き合う機会を大事にしてあげてください。
教会員の人、牧師が悲しんでいる時、苦しんでいる時、石を投げないでください。
彼らはあなたのために苦しんでいるんです。
彼らが苦しみによって、得る祝福は、あなたの恵みになるんです。
牧者は、人一倍苦しむと思っています。沢山の人の痛みと悲しみを理解するために。
キリストが、私達の痛みを背負ったように。
あとね、あんま公に言わないことだけど、牧師より自分が優れている、なにか知っていると思っている人、
牧者として選ばれている人には、特別な守りがあるから、あんまり変なことすると色々起こるよ。
気をつけてね。
こう考えると、牧者側も、教会員側も、どちらがどうとか無いんです。
互いに相手を尊重し、自分のように大切にしてあげて下さい。
裁かれない、非難、批判されない場所。
考えて作っていきたいと思っています。