愛で覆われる
なんだかこの頃燃え尽きた。
長いこと、ひどいプレッシャーの下で耐えてきたせいだろうか。
気力が無い結果、周りに迷惑をかけてしまう。
思ったような完成度で出来ない。
もう、どうだっていい、と考えてしまう。
もうどうだっていい。
礼拝の時に証をする機会を頂いた。
サポートレイズのアピールが出来るように、と。
でも、そこで配る資料も準備できなかった。
準備はしたのだが、印刷が間に合わなかった。
今のプリンターのポンコツ具合から考えると、もっと早く取り掛かっておくべきだった。
なんでだろう、それでももういいと思った。
もういい。
悪あがきで、教会のコピー機で試してみることにした。
でも使い慣れていないから、果たしてできるのか。
印刷室に来てみたら、見慣れない印刷機が置いてあった。
だめだ、これは…。
でも、その前に、先生が何かを印刷していた。私が印刷が間に合わないと思った、資料だ。
「この印刷機、スピードが遅いんだよね。」
そう言われて、資料を手渡された。
下書きを送ります、と言って、前日結局夜遅くに送ったデーターの印刷だった。
先生朝早くから、礼拝中にかけて印刷してくださったんだ。忙しいのに…。
有り難かった。
資料は最初の下書きのバージョンだったので、あちこち書体がそろっていなかったり、とても良い完成度とは言えない。
でも、それでよかった。完全に仕上げられた資料より、先生が印刷してくださった、完全ではない資料のほうが良かった。
完璧な私の資料よりも。
どうしてだろう、私が出来ないときにも、愛は届けられ、愛によって覆われる。
私が出来ないときに、覆ってくれる人たちの愛に支えられる
不完全さの中に神の愛を見る。