キリスト教的観想-聞く心/ Christian contemplation: A heart that listens

Tim Foster Usplash

2024年3月 Mission Increase Retreat in Atlantaにて配布 By. Beth Bennett

1. Contemplate (Lat.-contemplum)

a. con (together)-templum (temple)

b. Being together with God in His temple

  1. 1 Cor. 6:19-20 “Don’t you realize that your body is the temple of the Holy Spirit, who lives in you and was given to by God? You do not belong to yourself, for God bought you with a high price. So, you must honor God with your body.”
  2. The context of this scripture is avoiding sexual sin, but I believe another way we honor our body is by meeting God there.

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  1. 熟考する(ラテン語 – contemplum
    a. con /topet/jer/ – Temp/um(寺院)
    b. 神の神殿に神とともにいる
    1) 1コリント6:19-20 「あなたがたのからだは、あなたがたのうちに住んでおられ、神から与えられた聖霊の宮であることを知らないのですか 。だから、自分のからだをもって神を敬わなければならない。」
    2) この聖句の文脈は性的な罪を避けることだが、私たちが自分の体を敬うもう一つの方法は、そこで神と出会うことだと思う 。

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Contemplateとは「b. 神の神殿に神とともにいる」こと。

2. William McNamara

a. “A long, loving look at the real”

  1. Long-this is not fast-food prayer
  2. Loving look-not a judgmental look
  3. Look-intentional focus of our attention
  4. Real the real is what is, not what we wish it was

b. “The ability to see reality as God sees it.” Elizabeth Liebert

1) T. S. Ellot “Human kind cannot bear very much reality”

2) The context of the quote is the struggle people have to live in the present. So, we live in the past or the future, what was or might have been or could be to avoid being with what is

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  1. ウィリアム・マクナマラ

a. “長く、愛に満ちた現実へのまなざし”

  1. 長い-これはファーストフードの祈りではありません
  2. 愛に満ちたまなざし-裁くまなざしではない
  3. 見る-私たちの注意の意図的な集中
  4. 現実とは、ありのままの姿のことであり、こうあってほしいと願う姿のことではありません。

b. “神が見ているように現実を見る能力” エリザベス・リーバート

1) T.S.エロット “人間のはあまり多くの現実に耐えられない”

2) この引用の文脈は、人々が現在を生きるために持っている葛藤です。つまり、私たちは過去や未来、過去にあったこと、あるいは過去にあったかもしれないこと、あるいは過去にありえたかもしれないことに生きているのです。

精錬されていくということは、効率の良さ、ジャンクフード的な考え方、祈りから生成されるものではない。ジャンクフード的な霊性とはなんだろう。数、大きさ、効率、人間性を貶めるような働き方に基づいた、活動。

「私たちは過去や未来、過去にあったこと、あるいは過去にあったかもしれないこと、あるいは過去にありえたかもしれないことに生きているのです。」ー本当だと思う。

3.Jesus entered a world of chaos and brokenness and found God in it. He saw the divine in each person and drew out the goodness in each person. He was trained to look deeper into any given situation. His contemplative prayer practice was the bedrock of his training

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3.イエスは混沌と壊れかけた世界に入り、そこに神を見出されました。イエスは一人一人の中に神を見いだし、一人一人の中にある善を引き出されたのです。イエスは、どのような状況においても、その状況を深く見つめる訓練を受けていました。瞑想的な祈りの実践は、彼の訓練の基盤でした。

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宗教者としての関わり方。ここはすごく感銘を受けた。LGBTQのことを思い出し…私の使命というのは、彼らの中にある神を見出すこと。賛成だ反対だという枠の中に入らない。

“How does any apple ripen? It sits in the sun.” Thomas Merton

Contemplation is resting from my preoccupation with myself. If I can somehow let go of my preoccupation with myself, I am much more likely to notice God.
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「リンゴはどうやって熟すのか?太陽の下に置いておくのだ。トーマス・マートン

観想とは、自分へのとらわれから離れることだ。どうにかして自分へのこだわりを手放すことができれば、神に気づきやすくなる。

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「リンゴはどうやって熟すのか?太陽の下に置いておくのだ。」トーマス・マートン

ステキ🍎

ブライアン・ズハンド

「受肉によって神が歴史に決定的な一歩を踏み出されたとき、誰がそれに気が付いたのか。預言聖句の専門家であった律法学者や祭司たち、ファリサイ派の人々ではない。

その代わりに、異教徒の星を眺める者たちや農民の羊飼いたちが、神のなさることを見極めていた。彼らは専門家でもなく、宗教的な喧噪の中心にいる反動者でもなく、思索の静かな端っこにいる静かな人々だった。


「星を眺めたり、夜警をしたりすることは、観想的生活の深い比喩である。多くの人々にとって、東方の賢者や羊飼いたちが、夜中に長い間、空を見張っていることは、何の意味もないことをしているように見えるだろう。

ベツレヘムへの道を見つけたのは、沈黙のうちに待つ方法を学んだ、思索的な物語を見つめる人々と羊飼いたちだった。彼らは、若い女性が人里離れた場所で出産するという、一見何の変哲もない出来事の中に、神が何をしておられるのかを見分けることができたのである。


神を待つということは、神が行動するのを待つということ。神は常に世界を愛し、常に何かを生み出しているのだから。神が行動するのを待つということは、あなたの魂が十分に静かになり、瞑想的になって、神が権力の回廊から遠く離れた、曖昧で忘れ去られた片隅で何をしているのかを見分けることができるようになるのを待つことなのだ。


だから、自信を持って言おう:神は行動しようとしている。神はあなたの人生に 、そして私たちの世界に行動を起こそうとしている。

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But if you want to discern the actions of God you must learn to first wait in quiet contemplation. Before you can become an activist, you must first become a contemplative; otherwise, you’ll just be a re-activist. And re-activists merely recycle anger and keep the world an angry place. Jesus was a contemplative activist, but never a re-activist.

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しかし、神の行いを見極めたいのであれば、まず静かに観想して待つことを学ばなければならない。そうでなければ、ただのアクティビスト(re-activist)になってしまう。アクティビストはただ怒りを再生産し、世界を怒りの渦に巻き込むだけだ。イエスは思索的な活動家であったが、決してアクティビストではなかった。

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一番印象深かったのはここ。

元の文章はactivistとre-activistの対比になっているのだが、日本語でリアクティビストという言葉は、意味を成さない(分かりにくい)。特定の思想・信念に基づいて活動している「アクティビスト」とした。

反応(React)と応答(Response)の考え方を背景に考えると面白い。re-activistは、感情的に反応している活動家ということになる。

「アクティビストはただ怒りを再生産し、世界を怒りの渦に巻き込むだけだ。イエスは思索的な活動家であったが、決してアクティビストではなかった。」

怒りに反応して生み出されるものは怒り。宗教者としての、キリストの世界とのかかわり方は、怒りを再生産させるものではなかった。

私は、どのように世界にかかわっていくことが出来るのか。


So learn to gaze at the stars. Learn to keep vigil in the fields. Learn to sit with Jesus. Learn to be quiet. Learn to wait. Then, and only then, will you begin to discern what God is doing.

だから、星を眺めることを学びなさい。野原で警戒することを学びなさい。イエスとともに座ることを学びなさい。静かにすることを学びなさい。そうして初めて、神のなさることを見分けるようになる。

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感じること、考えること。