あまりにも多くの夢

お客さんがいらっしゃいまして、付き合いでユニバーサルスタジオ・ハリウッドへ行ってきました。

私、ロサンゼルスに来てから、わざわざ自分から観光地らしいところ、特にお金がかかるところには殆ど行っていません。

本国から来て、経済的に厳しい留学生は、勉強するだけで必死ですから...。私も勉強で精一杯だったので、近所にディズニーランドがあろうが、ユニバがあろうが全然興味もなく、毎日生活しておりました。

というわけで、チケットもただで出してもらえるとのことで、初ユニバへ。

ユニバ、懐かしい。大阪で働いていた時、ユニバーサル・スタジオ・ジャパンに自転車で行ける距離で、苦しい教会での毎日を離れて、ユニバの手前のカフェで勉強していた。

日本にもこんなところがあったような気がするな。

あんなに目の前にあったのに、一度も行かずに、まさかアメリカで初めて入ることになるとは思わなかなった。感慨深い。

あの時代のことを思い出すな。

当時確か、ちょうどハリー・ポッター城がオープンしたときで、すごく賑わっていたっけ。敷地外から遠くに城が見えた。今は眼の前に見える。

敷地内を巡るツアーがあり、言われるがままに参加。
映画撮影に使われる施設や建物を見学しました。

普通に楽しかったです!

近隣に映画製作会社が目白押し。
映画好きにはたまらない場所でしょうね。メディア音痴の私、映画も音楽もよく分からん。

敷地内にはアメリカのあらゆる年代の、あらゆるシチュエーションの建物が並んでいた。

非常にリアルであるが、映画撮影用なので、いわゆる、はりぼて。立派なハリボテ、というのは、ベニヤ板とかではなく、コンクリートや鉄筋で組んである、映画撮影用のかなり大掛かりなセット。

ほんの数十分以内に、アメリカ開拓時代からニューヨーク、ビーチから住宅地、ジャングル(ジュラシック・パークエリア)まで、見ることが出来た。

でもそれを見ながら、昔の記憶を思い出した。

家は神道だったので、クリスマスの文化とは無縁だった。

子供心に、クリスマスツリーに飾ってある沢山のプレゼントやオーナメントにはとても憧れたし、羨ましかった。

華やかなリボンと、美しいラッピングペーパーに包まれた一つ一つの箱に、素敵なプレゼントが入っているのだろうと思った。ツリーにぶら下がっている、小さなギフトボックスの一つ一つが、人々への贈り物なのだろうと思った。

一体どこでだったのか、多分、クリスチャンになってからのことだと思うのだが、いくつかのキラキラした、小さな箱を実際に目の前にした。ずっと、遠くで見ていたプレゼントの箱を前に、すごく驚いた。

一体この箱には何が入っているのか?好奇心から、箱を眺め回していたら、一つの飾りの包装紙が剥がれていて、中が見えていた。見てみると、発泡スチロールだった。

「まさか」(・o・)

「そういえば、なんかこれ、軽いなぁ…」

夢が詰まっていると思った、プレゼントボックスが何なのかが一遍に分かった日。

それら飾りがどのような意図を持ったものなのかを理解した。

発泡スチロールのギフトボックス…。

それを見た時の、なんとも言えない、失望感。

こういうものは、嫌いだ。私が欲しいものではない。と深く心の底で感じた。

「私はこれを目指さない」という感覚。このようなやり方は好きではない。

ユニバーサルスタジオ・ハリウッド、ハリー・ポッターコーナーのお菓子

映画や、このようなテーマパークは、夢を感じる、非日常を感じるということで、純粋にエンターテイメントとして楽しむものなのだろう。

ツアーバスに乗りながら、思った。

夢、あまりにも多くの夢

こうあったらいいなという願いの理想的な場面が、最高のアングルで表現される。

一体どれだけの人が、この夢…フェイクに憧れたのだろうか。

開けてみたら奥行きもないセット。

生活が出来るようには作られていない。

中身が発泡スチロールのプレゼントみたいに、見せるために作られた実質のないもの。

この夢に、どれだけ多くの人が、翻弄されているんだろう。

本質的には、今のSNSと変わらない。

フェイクをリアルであると信じることは悲劇だと思う。

ユニバーサルスタジオは純粋に楽しかった。

まぁ私は、このようなタイプのものに、のめり込むということはないのだろう。

アメリカ人は不思議だなぁと思った。

なんか、こういう、エンターテイメントを作るんだね。刺激が強くて華々しいもの。

日本的なものとは、細部まで美しさにこだわるから、美意識というものも、異なるのだろうと思った。