被害者マインド

個人セッションのアプローチは、基本的に学校で教えられた通り、自分の認識や見方を観察する、改善するという作業と、相談者の人と一緒に行っています。認識療法、トークセラピーと言われるものです。

それぞれの問題に合わせて調整していますが、学びが必要な方、トレーニング系の方を除いて、7,8割は同じ方法です。

霊的虐待の相談も引き続きありますが、その中で少し思うこと。

最近「被害者ムーブ」という言葉を見かけることがあります。それを聞いて思いましたが、霊的虐待の被害者だという方に、同じような、「被害者マインド」にとどまりたいという方がいるような気がします。

私の基本的な方針は、牧師や教会の問題は、事実として、話を聞いて整理していきますが、それらから離れて、自分自身はどうしたいのか、どこに向かっていくのかということを、考えていく方法です。

どんなに問題があるとしても、問題の主に変化を求めても、無駄です。
ちょっと言って変わるぐらいだったら、とっくの昔に変わっています。変わらないから、問題はそのままで、悪化しているのです。

悪化するレベル、教会員まで巻き込んでいる場合は、有力で良心的な牧師や、役員、リーダーは去った後です。そのため周りを変えるのではなく、自分自身がどうしたいか、どのように、信仰的に考え、語りかけられているのかということを質問します。

ところが、自分が傷ついたという状態の解決を他者に求めているうちは、進展がありません。それどころか、被害者である自分に、好んでとどまろうとする人もいます。

そのような方は、教会や牧師、怒りの対象については活き活きと語りますが、自分自身の考え、方向性を尋ねるととたんに黙り込みます。そんなことは、問題ではないというように。

他者を肯定的に見る、批判される覚悟で、自分の意見を表現する、ということは困難です。

「被害者の自分」以外のアイデンティティを想像させると、フリーズしてしまいます。勿論、肯定的な自分というものを継続的に思考することも出来ません。

もう一つの特徴は、主体的に継続して、自分を観察することが出来ません。次回話に来たときには、同じ世界にとどまっています。話したことも、発見したことも、聞き手の私は覚えているけれど、相手は覚えていません。

主体性がないので、意味付けする作業からやり直し、そして次回には忘れ、つまるところは本人に進展はありません。

誰かに傷つけられて、誰かのせいで自分の人生はだめになった。被害者としての自分を生きる。

自分の責任、決定に対する結果が生じると感じると、何も出来ない。何も出来ないどころか、恐らく潜在的に、目を背けている。

他者に問題があることを再確認し、何も選択出来ない、しなくて良い状態の私に安心し続けたい、と私には見える。結果を避け続けたい。結果に向き合ったら崩壊する。

ここには、なにか思考の硬さがあるように思います。自分の考え、捉え方に囚われる。

問題と解決方法を自分の中に見出す、という方向性を相談者が拒否をしているため、問題の対象が、教会なのか、世の中なのか、牧師なのか、色々ですけども、私が基本的に用いている方法はあまり効果がありません。この場合は、逆に、負の方向性へ押してみることも可能性があると思うのですが、時間的な制限、枠組みの制限があり、そこまではしていません。すごく大変。それは、精神科医の先生のお仕事…と言っても、薬を出すことがメインでしょうし…沢山のお金をかけて、本人が向き合っていくことでしょう。そこまでコミットするか、解決を他人に求めないで、もう少し自主的になるか。

相手が凶悪犯罪者や、家庭裁判所の命令などで、徹底的にその心理を解明する必要があり、精神の専門医が揃っており、相手のコミットメントが約束できている(必ず治療に一定回数以上訪れる)ことが分かっているならば、枠組みとして可能でしょうけども、そんな立場ではありません。

ある程度、信頼関係があれば、逆に押してみることもありますが、本当に時々、短期的にやる場合のみです。これが出来る人というのも、継続的に自分自身について観察し、自分自身で前進していくことが出来る人のみ。

宗教被害と回復の難しいバランスだと思います。

宗教被害という問題自体が、あってはならないものですが、これだけ、人のには考え方の特徴や歪みがあるのですから、認識に問題や弱さがあるという要因も、宗教被害を拡大させてしまう一員であるかと思います。

境界知能という概念も、近年取り沙汰されてきました。14%ほどの人が、当てはまるそうで。境界知能の方々は、詐欺や犯罪に巻き込まれやすい。その他の精神疾患、人格障害の割合をいれると、もっと多くの割合で、課題がある方々と接することになります。

教会の側にも、宗教界の側にも、課題はある。そして、人々のほうにも、様々な要因や課題があると思われます。

被害者マインドは、相談者を苦しめることはしますが、自由にはしません。難しい場合はトラウマ治療の範囲になると思います。

苦しいことかも知れませんが、肯定的に、自分自身の人生、自分自身の世界を見出していくことが大切です。