シメオンの心

友人の牧師がクリスマスのメッセージをするということで、教会を訪問。

ルカの福音書からシメオンのメッセージ。

”あなたのbucket list(人生でやりたいことのリスト)はなんですか?”という質問から始まった。

幼子のキリストを見て、これで人生を終えることが出来る、終わっていいと話したシメオン。

「シメオンは幼子を腕に抱き、神をほめたたえて言った。「主よ。今こそあなたは、おことばどおり、 しもべを安らかに去らせてくださいます。」Luke 2:28-29

 

友人のJさんはとても控えめで誠実な方。

色々なメッセージを観察してきたなかで、花に例えるならば「たんぽぽ」。

「華々しさ」という点では、バラやひまわりとは全く違うのだけど、誠実さが心の底から感じられる。メッセンジャー自身が、誠実に時間をかけて、聖書箇所に向き合ってきたのだとうことが心から感じられた。

外側だけを真似しただけではとても到達できない、彼女らしさ、温かさと豊かさがあった。

華々しさなんて、結局どうだっていいものだ。説教者の心と思いに触れることができれば、私は幸せだ。

「シメオンは、キリストに出会うことが彼のbucket list(人生でやりたいことのリスト)でした。

キリストは、私達の人生を完成させてくださる方です。あなたのBuket listは埋まりましたか?」

 

私にとってのBuket listはなんだろうかと思った。私の人生がこれで良かったと思えるもの。

「弟子かな」と思った。

かつては私が弟子で、今もそうなんだけども、もう少し先で、命の終わる時が来たら、弟子か。

思いを継いでくれる者、ということだろう。

私だけの、ではなく、私が受けてきたものも含めて、委ねる誰かがいるのであるとしたら…弟子という存在ではないだろうか。

 

キリストが、自分の教えに耳を傾ける人たちを、自分の家族だといった意味が分かったような気がした。

 

Mark 3:32 大勢の人がイエスを囲んで座っていた。彼らは「ご覧ください。あなたの母上と兄弟姉妹方が、あなたを捜して外に来ておられます」と言った。
Mark 3:33 すると、イエスは彼らに答えて「わたしの母、わたしの兄弟とはだれでしょうか」と言われた。
Mark 3:34 そして、ご自分の周りに座っている人たちを見回して言われた。「ご覧なさい。わたしの母、わたしの兄弟です。
Mark 3:35 だれでも神のみこころを行う人、その人がわたしの兄弟、姉妹、母なのです。」

 

たとえ血がつながっていても、神を知らず、人に敵対するような人間であれば、何の嬉しいことがあるだろうか。

誰もが生まれて価値があるなんて、私はそうは思わない。と言いながらも、今生まれている命に対しては、一生懸命に向き合うが、これからの人間が良い人間である保証なんて無い。

正直なところ、終わりに向かう神の歴史の中で、害悪を撒き散らす人間であるならば、存在しないほうがましだと思える。悪く思わないで欲しいが、これは、散々な自分の親の世代を見て思ったこと。

人を見れば見るほど、知れば知るほど、今現在の私の思いの中では…人間も、人の命も、そんなに理想化されるほど美しいものではない。

信仰心を抜きにしても、社会に、人々に対し敵対的で害悪そのものであり、そのまま人生を閉じるという人もいる。

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話がそれたが、キリストにとっても、弟子は血がつながっている、ということ以上に大切な存在だったのではないかと、思う。

 

私の恩師のK先生のことを思い出した。

「弟子を見つけたように思います。」と言ってくださった時があった。

その時は、何も分からなかった。先生には沢山、先生を敬愛する弟子が沢山いたから。私よりも、年上で、信仰深い先生たちが。

多分、すべての人にそう言っているのかな、と、うがった私は思った。

でも、時々思い出す。

先生はそんなことを軽々しく言うような人ではなかった。

信仰的なレベルは、私は酷かったけれども、大きな期待と喜びを持ってくださっていたのではないかと。

 

だとしたら…。

シメオンは、キリストに出会って、命が終わってもいいと言った。

キリストは、弟子たちに、自分の使命を託した。

恩師は、私に期待をもって、指導をしてくれた。

 

弟子を、弟子たちに託していかないといけない。

私の周りの弟子たちを、出会う弟子たちを、愛していこう。