人間関係の整理整頓

ミニマリズムだとか断捨離だとか、片付けに関することは定期的に話題になる。

19歳で地元を離れてから、私はずっと転勤族のような生活を続けている。寮生活や、教会の一角に住むという生活。頻繁な引っ越し、出張、更に海外へ移動、再び寮、シェアハウス…今はアパート。そしてまた日本へ移動。

実家とのつながりがないため、荷物を預けるということは考えなかった。家族のサポートという概念もない。出会ってきた人とのつながりの中で、我一人というスタイルによって、大きな違が生まれてきたように思う。今は、可愛らしく素晴らしい夫がいるけれども、いつでも一人で生きていけるようにという、思いは常にある。

渡り鳥生活と考えることにしていた。

すぐに次へと旅立てるように。

人間関係も移動するたびに変化し…ライフステージも変化し。

年齢を重ねるに連れ、最近、人間関係についての基準を整理することにした。

20代ー30代中頃までは、とにかくのべつ幕なし、機会があるなら、誰とでも何時でも会っていた。

(ちなみに、これは独り身独身の生き方、結婚しても子ども無しのケースである)

30代後半から、生活スタイルに変化が現れた。

気持ちに余裕がない。

働く時間と、休む時間は切り分けるようにして、休む時間はそれなりに確保されているのだが、いろんなことに気を取られている余裕がない。

今のミニストリーの責任を持っているからだろう。自分に自由と全責任があるのだから、大体の精神的エネルギーはそちらへ流れる。

自然と、何の目的で、誰に会うのか考え、やらないことを決める必要も出てくる。

これまで通りの考え方、人との付き合い方では到底だめだと、もうアカンと感じた。

だから、荷物と同じで、人間関係を整理整頓する基準を持たなければ、と考えた。

整理対象の関係

明らかに精神力を消費する人間関係と、負荷をかけても大丈夫な人間関係があった。

負荷が大きくても大丈夫な関係性は仕事上での関係性だった。仕事上というとドライに聞こえるかも知れないが、自分では神から与えられた、委ねられた関係だと考えている。私の中では、責任を持って関わっている人たち。宣教の仲間たちも、サポーターの人も、教会でお世話になっている人も、神から与えられた大切な人。

一方、精神力が削られる関係は、個人的な関係だった。これも、神に与えられたと言えばそうなのかも知れないが、なにか違うものを感じる。

なぜ仕事上での関係性は負荷が高くても大丈夫なのかと言うと、目的があるからだ。目的があれば苦ではない。

整理しなければならないのは、目的が定かではない個人的な関係性だった。

あれこれ考えて、いくつかの誘いを断り、自分なりに見えてきた整理対象の人間関係は、下の3つ。

  1. 会って精神的に負担であるーお説教臭いことを言ってくる人
  2. 会いたいという気持ちが沸かない
  3. 相手のスケジュールの隙間に入らないといけない人
  4. 主語が私ではなく、家族の人

1は論外だから、迷うこと無く整理して良し(誰の言葉に耳を傾けるかということは、自分なりの基準があります)。

今回新たに加わったのは、2と3。


2.会いたいという気持ちが沸かない

これは、よく考えてみると、相手の利益で会おうとしてくる人。支援や情報を求めてくるけど、こちらがどうだということは、関心はない。こういった人は定期的に現れ、少なからず嫌な思いをした。利用されているような気持ちになる。仕事上では情報も時間もすべて提供する。相手から相談されていること、要請があることに関しては、誠心誠意向き合う。利益が一方通行でも、そこに何の見返りも求めない。宣教の発展という大きな意味での実があるから。だったら仕事上で付き合っている人たちを大切にすれば良い。正直、仕事で関わっている人は、下手な知り合いより、付き合いもあるし、大切な仲間だ。

ミニストリーを始めてから、自分の利益のために情報だけ求めてくる人に会う機会が増えた。こういった人は、にこやかに近寄ってくるが、実際のところ、エナジーバンパイア、もしくは「テイカー」である。取ること、自分に利益があることには情熱があるが、真の意味で公共的な利益に貢献する視点が感じられない。

エナジーバンパイアであるかどうか、それは、その人の実績を見て判断する。インプットに比して、アウトプットが釣り合っていない人は、リソースをいつまでもかき集めているだけのエナジーバンパイアだ。

気持ちがあるけど実績が無い人について、仕事上でなら関わる、「友人」としての前提では会わない。エネルギーが一方通行だから。利益目的の人に会うと、ひたすら相手の話を聞くことになる。そして相手の都合に合わせることになる(お願い事は多いから)。帰る頃、専門領域の話はしたけど、私がどうかという話は全然しなかったということに気がつく。
それは友人ではない。私は何のためにその人に会うのか?仕事の前提で判断したほうが、私の気持ちは爽やかだ。

2-1.友人なのか、エナジーバンパイアなのか

ここが、見極める必要がある点。まぁ、友人というのは、「どちらかな?」というカテゴリーにまず入ってこないと思う。立ち止まって、考え始める時点で、「友人」の枠ではないだろう。
悪い人ではないけれど、どちらか考えあぐねている場合は、待ってみれば良い。相手の真意が分かるまで、慎重に距離を取る。エナジーバンパイアは自分の利益優先だから、こちらが面倒になると近寄ってこない。

もらうことは目的にしているが、損になることはしないから、彼らにとって手間のかかる利益のない人になれば、寄ってこない。

本当の友人なら、用事がなくても連絡が来る。

西郷隆盛は、「大きく打てば大きく鳴り、小さく打てば小さく鳴る」と評される人だった。西郷隆盛作戦で行く。よく振り返って考える。
その人が関わってきた程度で返してみたらいい。

  • いつも相手から用事があるときだけ連絡が来ていないか?それ以外でつながりはあるか?
  • なにか違和感がある。
  • 誠意が感じられない。
  • 調子が良く、八方美人(自分の利益が中心。必要がなくなると音信不通、必要が出てきたらオーバーリアクションで近づいてくる)。
  • いい加減な扱いをしてくる
  • 大げさに言い訳しながらも、こちらのスケジュールや状況に不誠実(時間に遅れる、相手の都合に合わせてこようとする、土壇場で連絡、マナーがない(ウイルスを撒き散らす、助けを求めておいてその後のアップデートは一切なし、一言のお礼もなし)
  • 自己中心さが目立つ
  • 自分がやったことに関しては、助けてあげたんだと上から目線になる人


よい繋がりがある時期はあったのかも知れない。でもその時期も終わったのだろう。

必要なら、違和感は消え、神が引き合わせてくださる。

誠意は利用されるだけなので、あまり関わらないほうが良い。

3.相手のスケジュールの隙間に入らないといけない人

願って会いに来てくれる人には誠心誠意向き合う。相手の犠牲を無駄にしないように。

私は、自分よりも実力、実績がある人たちに会う時、犠牲を惜しまなかった。自分が教えを請い、彼らが長年苦労して得てきた経験や知見を聞くから。だから、いろいろなところに出向き、お話を聞かせていただき、また助けてもいただいた。自分なりに、その後も誠意を尽くしている。

年を重ね、時間は貴重な財産であることを、より感じるようになった。自分の人生の時間も無限ではない。時間をかけて、教えてきてもらったことも、フリーリソースではない。

仕事だか、家事だか、子育てが理由だか知らないが、向こうのスケジュールに合わせるようにお願いしてくる人には会わない。会いたいんだったら、頼んで会いに来るくらいの気概を見せて欲しい。こちらを、都合の良い情報源だと思っているような人には会わない。

加えて、人生を忙しくしたくない。ただでさえ、自分自身の用事で手一杯なんだから、追加で他人の忙しさにまで付き合う義理はない。

相手があんまりスケジュールがタイトで、どうのこうの、忙しい忙しい、という人の場合は、お互いにスケジュールが会わないようですので、遠慮させていただきます、と返事をしている。無理しない。

友人と言える人たち

友人として付き合っている人たちは、まず、忙しいって言わない。会おうって、言うの。私と会うために、最大限の犠牲を払ってくれる人たちだから、私も彼らのためにそうする。

暇な人たちではない。牧師として、正社員として、教授として、博士として、専門家として社会の一線で働いている。専業主婦の友人で、子どもが理由で忙しいって言っている人、一人もいない。子どもが3人も4人も居て、忙しいのは絶対確実だけど、私にそんなこと言わない。だから、そういう友人のためには、私も会うための工面は苦にならない。

忙しいので、私のスケジュールに合わせてくださいって、いう人は会って楽しい人の中にいない。そんな人と友人にならんよね。

自分都合の仕事のスケジュールに合わせてくださいっていう人は、それだけ自分がスケジュールに振り回されている人。仕事ができる人たちは、忙しくても、鋼メンタルで生活を制御している。

自分のスケジュールに振り回されてている人に、私が会いに行く理由は無い。実力が無いってことです。
私に会う暇ができたら、会いに来たらいいですね。優先するべきことを優先してください。
忙しくて会えないなら、私の価値はその人にとってその程度。そんな人に、こちらが無理して会う必要も緊急性も、理由も無い。

4.主語が私ではなく、家族の人

これも結構いるんですけど、主語が私ではなく、夫、子どもの人。私は主体性のある個人としか付き合いません。夫の都合、子供さんの都合、他者に関係ありますか。

妻が主語の人は今のところいませんね。おかしいやんそんな人。男性が、より子育てするようになったら子どもが主語の男性がいるのかも知れませんけど、どうだろうね。

主語が家族の人は会わない。意識がそこに見えている。家族が第一。価値観が違う。この範囲で友人になった人いない。友人になる人は、自分を主語にして自分の話をする。

宣教のつながりのつもりで、会っても、家族の話ばかりする人がいる。仕事先の人に家族がどうのこうの言いますか。何の話をしに来たの?悪いことじゃないんですよ。だけど、家族の話をしたいんだったら、私ではないよ。

私は、仕事を優先して生きています。家族がいてもそれは変わりません。私の上司は子ども4人いますけど、会話には全く出ません。仕事に集中していますから。

期待値のすれ違いが起きるので、断ります。
多分誰に対しても同じようなこと話すんじゃないですかね。相手が見えていないということですよ。そして、その人には、家族以上の話題がないということ。貴重な時間を使って会う必要がありません。

Fear of Missing(機会損失への恐れ)

多分なにか機会を逃してしまうから、もしくは、もしかしたら何らかのつながりが出来るかも知れないと思い会っていたのかも知れないですね。そして今は、どんな人と会って、良かったのか、沢山の人に会ってどうだったかを精査する時期でしょう。

実りのあるつながり

  • 同じような価値観、そして同じ優先順位で生きている人。同じだけではだめ。優先順位大事。
  • 実績を出している人
  • 仕事上で関わりのある人

不毛

  • こちらから一方的な働きかけで継続されている関係
  • エナジーバンパイア/テイカー
  • 実行が伴っていない人
  • 調子が良く、自己中心で、不誠実な人

若い人はね、いいんですよ。自分も未熟で、許されて来ましたから。彼らには応援の意味で声もかけるし、時間も割きますよ。

人間関係を無作為に増やさない

必要な出会い、関係は主が与えてくださる。

というわけで、これからは、人間関係を慎重に見極めていこう。


時間が限られている。神から任せられた人たちを大切にする。会いに来る人に会う。時間を使う。友人たちを大切にする。
限定していくわ。