社畜クリスチャン -宗教関係者の労働環境を考える

あるキリスト教団体で働くこと数年。実際生活を通して考えたことです。

宗教と経済の関係は、「聖と俗」の中で、タブー視されてきた分野の一つではないでしょうか。

実際にこの分野で働いて感じる所は、タブー視するほど曖昧な世界になり、極端な貧しさ、もしくは金銭に対する汚さを生む背景になっているということです。

人がそこで働く、ということは、宗教関係者であっても社会生活が営まれるということです。働くために、適正な環境が整えられなければ、その活動のどこかで歪みが生まれ、長続きしません。

「自己犠牲の精神」を盾に、個人やその家族が犠牲になるような悲劇を繰り返さないために、

そして、神の権威を隠れ蓑にした詐欺師を生み出さないために、適正な環境が整えられていく必要を考えて、書いた記事です。