
私には、とてもお世話になった人たちがいました。
私にとっては親代わりのような人たちです。
私に信仰のことを教えてくれたのも、この人達でした。
出会ってから10年、元々重度のうつ病を患っていたご主人は、ある日突然自死しました。
その日から1年が過ぎました。
クリスチャンの自殺ということで、色々なことを言われました。
まさか自分の身近な人が自死するなんて、想像もしていませんでした。
自死が信仰の失敗だとか、神からの呪いだとか、そういうことを言ってくる人もいました。
慰めだと思ってかけられる言葉が逆に心に突き刺さることもありました。
たとえどう言われようが、私も、残された家族も生きなければなりません。神さまを信じながら。
我々もまた、クリスチャンなのです。
1年経って、まだ色々なことの整理はつきませんが、信仰の中で自死を受け止めていく歩みを何かを残せたらと思いました。
私は、その恩人のご主人のことを「ライオンさん」と呼んでいました。
ライオンさんは、私に多くのことを教えてくれました。
ライオンさんの死も、私に多くのことを教えてくれました。
死は敗北でも、終わりでもないと、聖書は言います。
ライオンさんの死を通して、私は物事をもっと豊かに考えられるようになったと信じています。
クリスチャンでも自死します。家族も自死します。
生きることはそれくらい残酷で、現実は矛盾に満ちています。
その中の一コマに巻き込まれた私ですが、それでも私は生きています。
神さまの恵みは、いかなる暗闇にも届くことを信じています。
そして、どんな困難をも越えて、私達は神さまに育てられ温められていくことを信じています。
自死に直面しているクリスチャンの方々に、励ましが届くことを祈っています。
2015年8月27日 ライオンさん1周忌の前の夜