「今日」 ―ライオンさんのこと 24
いつものように、夜8時にTさんに電話。
Tさん 「今日は一人で大泣きしてたの。」
私 「どうして」
Tさん 「もう12月も終わるでしょ。それでカレンダーを外そうと思ったの。そしたら、あの、ライオンさんが毎晩「今日」っていう紙を張り替えてたでしょ?あれが、カレンダーの後ろにあったの。
私が、あの日から、「今日」っていう紙、捨てられなくて、カレンダーの後ろに貼ってたのよ。」
眠る前、夜になると、ライオンさんは「今日」と書いた小さな紙を、カレンダーの翌日に張り替えていた。
赤いマジックで「今日」と書いてある小さな、赤茶けた紙。
朝起きると、その紙が当日のところに貼ってある、という具合になる。
毎晩毎晩、律儀に「今日」のセロテープを丁寧に剥がし、翌日に張り替えていた。
私が居た4年間も、その後の7年間も、いつから始めたのかわからないが、その前からもずっと、同じ紙だったのだろう。
Tさん 「今になってね、今になって、どうしてあの紙を毎晩張り替えていたのか分かるの。
前はわからなかった、一つ一つの行動が、今になったら理解できるのよ。
明日が来るように、って、一日一日、一生懸命の思いで生きてたのよ…。」
私 「…。」
Tさん 「捨てられないよ、って、遺影の後ろに貼っておいたわ。」
私 「…今日…。そうだね、捨てられない。
大丈夫…「今日」はきっと来るから。いつかの「今日」はきっと来るから。
神さまが、ライオンさんに会わせて下さる「今日」が来るから。」
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どんな思いで、ライオンさんは「今日」を張り替えていたのだろう。
最期の夜は、どんな思いで「今日」を張り替えたのだろう。
果たして張り替えたのだろうか。
「今日」は、明日も生きていく、という意思、だったのだろうか。
「今日」が来なかった。
今日が来なかった。
信じられないほど残酷だ。
残酷な…現実
でも、神さまの手の中にあって、私達は「今日」を生きている。
ライオンさんも、きっと神さまの時の中で「今日」を生きていると、信じている。
私は、その後も自殺したクリスチャンにはサタンが入ったんだ、ということを言われた。
でも、私は信じない。
キリストは、悲しみの人で病を知っていた、と私は信じているから。
私は信じない。