ジャイアン理論を地で行くモラハラ指導者

答えが見つかれば、平安になるのかと思ってた。

対処法とか、解決策とか、反省点とか。

因果関係の世界観で。

復讐とか、なんかそういうものは、自分の心を納得させるためにするものなのかもしれない。

復讐できなければ出来ないで、自分の心を責め、ないがしろにされた自己が、怒りを溜めていく。

 

どうやったら、この怒れる自己をなだめることが出来るのか。

方法を探してうろうろする。

自ら復讐する方法は、神さまよろしくない、と仰る。

では「泣き寝入り」しなさいということなのか、結果的に。

 

怒れる自己をなだめるために、うろうろする。

 

そして、考えてみたら、心の平安というものは神さまから与えられることに気がついた。

 

色々なタイプの人に会ってきたが、前の所(前働いていた教会)は、人の境界をわきまえない、異常な精神性の世界だった。

 

貧しさとか、なんかそういった苦労はあったかもしれないけど、私はいい人たちに恵まれてきた。

人とは良いもので、信頼できるものであると教えられてきた。

 

たまに変な人に出会うことがあっても、精神が異常な人の世界観に晒されて生きることなんてなかった。それも、人の魂を破壊的に踏み荒らす人たちなんて、想像したこともなかった。

 

考えたこともない精神世界との遭遇はかなりの衝撃。

モラルハラスメントは、心の殺人と言われる。

 

モラハラの思考回路とは、例えるとジャイアン理論を地で行く人たちのことだ。

「俺のものは俺のもの、お前のものは俺のもの」

 

「お前の時間も自由も人生も、俺の利益のために存在するものだ。

それが当たり前の事実であり、常識だ。」

 

と信じている人々のことだ。

恐ろしいことに、こういった理論の下に生きる人々も、同じようになっていく。

 

寝こみを襲われたような、衝撃感。

まったく。

 

私は私だと主張する、なんだかアホな努力。

 

そして今思う。

もはや、それに対する論理武装もバカバカしい。

 

私は祈る。

神さまに、平安を与えてください、と。

 

心でどう思おうと、精神世界にまで土足で踏み込もうとする人たちの攻撃を、完全に防ぐことが出来ません。

私はどうしたわけか、支配的な人に絡まれやすいのです。

言うことを聞くと思われるようです。

それは自分に問題があるのかもしれないと思って、色々考えてみたのですが、どうしようもありません。

 

私はこれからも変な人を引き寄せてしまうのかもしれません。

何にも解決できないのかもしれません。今回のことがあっても。

 

境界線の学びもしました。それにしても、ひどい侵害及び損害です。

 

途方に暮れていますが、私は祈ります。

私には何も出来ませんから、どうかあなたが私を守って下さい。

 

私は策を立てません。立てられません。

サウルはあなたによって、平安を失いました。

平安は天からの贈りものだと思います。

私の策によらなくても、平安は与えられるということではないかと、思いました。

 

私の自由を、誰かの所有物だと主張してくる人たちから私を守って下さい。

…そう祈ることにした。

 

私は私のために、何もしないわけではない。

私の怒りの執行権を主に委ねることにする。

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