魂の闇夜を通る

聖書を手に取ると恐い。

色々なことを思い出す。

一体どれだけ、これの前で悩み苦しんだか。

 

返ってこない答えを待って、何回の朝を迎えたか。

 

苦しい走り書きが無念さを増す。

 

終わることのない沈黙

 

膨大な虚しさを刈り取る時間。

それが朝夕の神との「対話」

 

でも思う。

 

今日まで私は生きてきた。

生きる気力が奪われたことはなかった。

 

この頃

「私にはもう力がありません、どうか今日を生きる気力とやる気を、

自暴自棄にならない気持ちを、人の交わりを喜ぶ心を与えてください。」

と祈って分かった。

 

私は今日も生きている。

結果はうまいこと行かない。

テストの点数も出ないし、人生にマイナスだと思えることばかり起きる。

でも、生きている。

 

それだけでも、神様の配慮があってのことだ。

続けることが出来る、ゴーサインだと思った。

 

今日も沈黙の前に座り続ける。

 

もしかして、私がもしも自分自身の力で生きていたとしたら、

こんなに気力は持つのだろうか。

打たれても、負けても、失敗しても、どうしてまた立ち上がることが出来るのだろうか。

 

苦しくても、悲しくても諦めることをしないのか。

たった一人で、なぜ立ち向かおうとするのか。

 

そしていつか投げ出す日が来るのだろうか。

それはどうしてまだ来ていないのか。

神学生の時に、あんなに病気をしていた時になぜ投げ出さなかったのか。

インターンシップで孤立した時に、なぜ乗り越えたのか。

あらゆるものから見放されたような気持になった赴任先で、なぜ耐え抜いたのか。

 

いつもいつも、崖っぷちで、それでも生き抜いた。

私は今日も強靭な精神力で、無謀な戦いをしている。

 

これだけでも大した奇跡だ。