辛かったときの記憶がぼんやりしている。

著作者:bernhard.friess 提供:GATAC

風邪じゃなくって、砂漠から吹いてくる風で花粉症みたいになることがあるらしくて、それではないかと言われました。目が腫れて、鼻づまりです。

 

10枚もののレポートが明後日締切で、ちょっと時間が無いので、気楽に書きます。

これで中間試験だから、約1ヶ月後の期末試験は一体どうなるんだろう。恐ろしい。

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スピリチュアル・フォーメーションのグループで出会った一人の学生さんがいます。

不思議なことに、彼女は私と全く同じように、教会で被害を受け、同じような苦しみの中にいます。

 

私の方が、先に抜け出してきたので、回復が少し早いというくらいです。

彼女の様子を見ていると、自分の様子を見ているようです。その心情というのが、手に取るように分かります。

彼女はグループの中では喋ろうとしません。他の学生と仲良くしようともしません。とても警戒しています。

でも、私のところに来て、自分の課題を話してくれました。それは、私が同じような経験をしているからだと、いうことでした。

まるで何者かに見張られているかのように、周りを気にしています。

それは、自分がいた教会の教会員が近くにいないか、警戒しているんです。

 

別に、もう出た教会なのだから、気にしなくていいじゃないかと思うのですが、教会で集団攻撃を受けた人間には世界がそう見えるんです。いつ、何時また攻撃されるかわからないと、世界が平和ではなくなってしまうのです。

定期的に食事に行って、話すことにしました。

私も回復途中ですが、お互いの考えを理解することが回復の役に立つと思いました。

彼女は個人的に会うと、驚くほど元気で、自分の考えをとても良く話してくれます。

自分の好きなこととか、毎日の生活のこととか、勉強のこととか、食べ物のことも。

 

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先日食事に行った時に、彼女の今の状態を話してくれました。

祈れない、聖書を読めない、心の深いところでは神様に対して怒ってる。

ここは、神様を愛する人たちが来るところなのに、自分は祈ることも出来ない。

教会は自分にとって安全なところじゃない。学校が、今の私にとっては慰めの場所だ。

様々、矛盾していることで、自分を責めている。

 

その気持は、痛いほど分かりました。

私も、今でも教会で祈ると思うだけで泣きたくなること。

教会よりも仕事場のほうが慰め場所だったこと。

聖書も読めなかったこと、祈れなかったこと。

 

これらのことは、実は彼女が自分の痛みを話してくれるので思い出します。

 

何と、先日も書いたように、不思議な事に多くを忘れているのです。

忘れていることに気がつくのです。

 

まるで、その葛藤の時期が眠りに落ちているように、なんだかぼんやりとしているのです。

 

水槽の中の泡を見ているみたいに。

今思うと、霊的な眠りを与えられていたのではないかと思うのです。

聖書を読めないことも、祈ることが出来ないことも、神様の手の中で深い眠りに落ちていたのではないかと。それは、きっと眠りなさいと言われていたのだと思います。

 

最近、時々思い出すことは、まだ某教会で働いていた時、10月か11月頃、「あぁ、なんだか疲れたなぁ。」と思って、そのままふっつり、何かが切れてしまいました。

 

もがいてももがいても、全然どうにもならないものだから、そのあたりで自分から助けを求めることを諦めてしまったようです。そして倒れたまま、何もかもを放置しました。

 

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彼女と話していても、私もなにか断片的なことしか話せませんが、それでも帰る頃には、まったく関係のない話をしています。犬の話とか。

出来るだけ、スピリチュアル・フォーメーションで習ったコミュニケーションの仕方を取り入れて、話を聞くように、自分の経験談は挟まないようにする。

解決を与えようとしなくてもいい、教えてあげるなんてこともしない。

ただ、相手の苦しみを理解するようにする。

共に居ることが出来るように。

 

お別れする頃には笑顔になっています。

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彼女はきっと、立ち直る。

神様が彼女を愛しているから。彼女の笑顔はもう十分素晴らしいし、生きる力を持っている。

知恵があるし、よく自分自身も、周りも観察している。きっと、受けた苦しみに負けないで、立ち向かう何かを身につけるだろう。彼女は幸せになる。

必ず、乗り越えて、きっと何かを見つけるだろう。

彼女の旅路を、一緒にさせてもらえることを、とても嬉しく思います。

だから、側に居ることが出来ることを、喜びたいと思います。