ゲーリー・L・マッキントッシュ、サミュエル・D・ライマ『リーダーシップのダークサイド 心の闇をどう克服するか』いのちのことば社、2013。

 やっとレビューを書きました…。

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牧師は一回これ使って勉強会するべきだと思いました。リスク回避に。

 

カトリックでもプロテスタントでも、

アメリカ、韓国、日本、世界中どんな国でも、聖職者の不祥事は珍しくないほどありふれている。

日本で特に宗教がいかがわしいと思われがちなのは、宗教家達が実際にひどい事件を起こしてきたからである。残念ながら良いイメージよりも、悪いイメージのほうが優っている。

 

この本は、「性的な搾取・薬物依存・贈賄行為・財務上の失敗について」(p8)、「自分が経験した成功へと駆り立てられたのと同じように、失敗を経験するように駆り立てられ」(p9)たリーダーたちの「失敗をつなぐ共通の糸を探り出そうという熱意から」生まれた本である。

これらの失敗を繰り返さず、働き人が闇に消えないように手立てを考えるヒントを与えている。

 

本書は

「リーダーとして成功したいと、ある個人が願う背後に、しばしば何らかの形で人格的機能不全が原動力として働いていることがある。」p11と指摘する。

宗教者だけに限らず、政治家や企業人の例も挙げられる。

社会的な成功の裏側で当たり前のように共存している、有名人の非人道的・倫理的日常、権力への執着。

 

個人的に、この本の醍醐味として興味深かった箇所は

「第2部 闇の部分を発見する」の章。

聖書の中に出てくる指導者達を挙げ、問題となるリーダーシップの闇の部分を下記のように分類している。

 

第8章 支配的リーダ―

第9章 自己陶酔的リーダー

第10章 被害妄想的リーダー

第11章 共依存的リーダー

第12章 受動攻撃的リーダー

 

 

少し紹介しますと、

************(b.は自分の感想)

 

第8章 支配的リーダー    聖書の中では:モーセ

・ 全ての問題を自分で掌握・管理したい。

・ しばしば公然と怒りを爆発させる。

 

「リーダーシップにおいて支配的であるということは、完全な秩序を維持しなければならないと考えていることである。・・・支配的リーダーは私生活でも組織でも、極端にまで完璧を求める。・・・支配的リーダーは一般的に、体系化された厳格な計画を決めていて、それを忠実にこなしている。そこには運動やディボーション、スケジュールや家族の日課が含まれ、それが組織の指揮にまで及ぶ。・・・彼らは家族が犠牲になるほど多くの時間を仕事に費やし、職員に対して不健全な模範となる。職場環境も不健全に成る、そして職員は、その上司に合わせて働き続けなければ、・・・自分が怠け者のように感じる。彼らに自発的に活動する余地はない。

・・・(支配的リーダーの)内面は感情の火薬庫である。この感情は、非現実的な期待をかけられ、厳しく育てられた子ども時代の結果かもしれない。・・・自分の人生と環境を支配しようとする全ての試みは究極的に、抑圧された怒りと恨みと反逆が表面化しないための努力なのだ。」p88,89

 

「教会の中の支配的リーダー

今日、教会の全てを細部まで管理しないと気が済まない牧師と霊的リーダーが沢山いる。彼らは自分の高い基準を満たすため、週報の準備まで監督しなくてはならない。聖日礼拝の賛美も自ら選択する。礼拝ディレクターがいても、その人には説教のテーマに合う曲を選択することなど出来ないと思っているのである。」89p

 

「多くの場合、このようなリーダーは自分自身に対して最も批判的だが、この態度によって教会員が影響を被るのである。

上記の行動はいずれも、神に仕え、主のために最善の努力を払う姿を装っているが、・・・実際はリーダーの不健全な欲求を満たす試みとしてなされるのである。」90p

 

b. あぁ、いるいるこんな人。

 

 

 

 

第9章 自己陶酔的リーダー     聖書の中では:ソロモン

・セルフイメージに強くこだわる

・自分のためなら努力も、人の犠牲も厭わない

 

「自己陶酔的リーダーは、「それぞれ、強烈な出世欲と、大げさな空想と、劣等意識と、外的評価と称賛への過剰依存を、さまざまな組み合わせで持っている」。・・・もう一つの特徴は・・・「他者から搾取する点であり、自分の欲望を満たし、自己を顕示するために他者を利用する」点である。ソロモンは自分の計画の財源を満たすために、イスラエルの民に重税を課し、このタイプの行為を示した。」p96

 

「自己陶酔的リーダーは、頑なに他者の価値と質を認めるのを拒み、自分の実績と脳力を過大評価する傾向がある。他の人の業績や能力を認めることは、自分自身の重要さにとって脅威となり、彼らが部下から得たいと渇望する称賛を失う危険性をもたらす。自己陶酔的リーダーは、自分の目的を達成するために他者を利用する傾向があるので、周囲には、部下の気持ちを理解できない人として知られている。気持ちが理解できないから、自分の目標を無制限に追求することが可能となる。」p96

 

「リーダーの自己実現のために、多くの労力と犠牲が必要なプロジェクトを教会に導入して、教会が台無しにされた例も多い」p97

 

 

「悲しいことに、自己陶酔的リーダーのいる教会の聴衆の多くは、この働きは神のためになされていると信じているので、リーダーに進言することは良くないと考える。」p98

 

第10章 被害妄想的リーダー   聖書の中では:サウル

・不信感に捕らわれた人

・自己弁護と被害妄想

「サウルには成功する要因が備わっていた。神はサウルを任命し、彼の心を変えて、影響力のあるリーダーにしようとした。・・・しかし、すぐにサウルの闇の部分が、神の計画したリーダーシップを破壊し始めたのである。」

 

「被害妄想的リーダーは・・・リーダーの地位を脅かし、注目を奪い去る危険性のある物や人が、どうしようもなく怖くなる。親しい仲間や家族に対しても疑いの目を向け、敵対心を持ち、人間関係でも壁を作る傾向がある。…配下の人々の行動や反応に敏感で、絶えず反逆される可能性を恐れる。また、自分の脳力に強い不安を抱いているので、才能豊かな人には病的に嫉妬する。

被害妄想的リーダーは、その猜疑心のゆえに、組織の全てに首を突っ込んで、部下や同僚の自主性を制限できるよう、しばしば組織の中に厳格な支配システムを作り上げる。 」p103

 

「被害妄想的な霊的リーダーのもう一つの葛藤は、教会員と親しい関係を維持する難しさである。親しい人間関係は、ある程度の情報公開と透明性が要求されるため、彼らにとっては難しいのだ。彼らはその情報がいずれ、リーダーの地位を攻撃するために利用されるのではないかと考えるのである。そのようなリーダーは、よそよそしく社交的でない人物と思われても、人々から距離を置くほうがよいと信じている。」p104

 

「被害妄想的リーダーの根底には、強い不信感と自信のなさがある。」p105

 

11章 共依存型リーダー   聖書では:サムソン

b.要約すると、多くの期待を受け、それに応え、喜ばれようとして他者の基準に合わせようと努力した人。しかしながら、その心の底には怒りと欲求不満が鬱積している。何かに依存することによる自己破壊的な行動によって、怒り、不満の自己主張をしている。

 

「共依存に陥っている教会のリーダーの間によく見られる現象として、教会内で行われた不適切な行為に対して、決然と対処することが出来ないという失敗がある。」p125

「共依存症の牧師やリーダーは自分自身の面倒を見ることが出来ず、バーンアウト(燃え尽き症候群)になったり、他の衰弱させるような病気に罹るのである。」p116

 

12章 受動攻撃型リーダー   聖書では:ヨナ

「気乗りしない預言者ヨナのように、受動攻撃的リーダは、十分に任務を遂行せよという要求に抵抗する傾向がある。受動攻撃的リーダの抵抗は、しばしば次のような行動で表現される。先延ばしにしたり、頑固になったり、忘れっぽくなったり、わざと非効率なことをしたりする。」p120

 

 

闇の部分の危険性

「支配的な闇の部分が、ある人を操ることになると、個人も組織も硬直してしまい、創造性が抑えこまれ、他の人との人間関係もぼろぼろにしてしまう。支配的なリーダーは、独善的で、律法主義的な雰囲気を醸し出し、導くべき人々を遠ざけてしまう。支配的な傾向があると、ついには仕事中毒になるか、痛ましい感情の爆発を起こしてしまう。そして完全に燃え尽きてしまい、回復するのに何年もかかることがある。

そのうえ、私達が導き、一緒に生活している人たちを支配したいという衝動があると、遂に人々が私たちの支配に反抗するときには、離れて去って行ってしまうか、反乱が起こるかになる。」p134

 

「受動攻撃的な牧師はしばしば、まるで歓迎されない巡回説教者のように、教会から教会へと転任せざるを得なくなる。それでいて、こうしたリーダーは、なぜ「あの人々」は自分を愛さず、必要としてくれないのか、決して理解することがないのである。」p134

 

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上記以外にも色々興味深いところがありました。

が、もう疲れすぎたのでここまで。毎晩ちょこちょこ打って、1週間以上かかりました。

 

自分にどんな傾向があるのか、チェックシートもついていた。

このようなチェックを、牧師自身が学び会などでやるべきだし、信徒さんに年一回でもチェックしてもらったらどうかと思う。

 

教会が健全さを保つために、客観視する何かが必要だと常々思っている。

 

牧師の歪みは、教会の歪みになる。

教会の歪みは、信徒の歪みになる。

 

閉鎖性、権威を隠れ蓑にして、闇の部分がキリストの身体を蝕むことがないように、定期的に第三者からの評価を受ける。

宗教組織が健全であるためには、どうすればよいのだろうかと、色々考えている。