涙雨 -ライオンさんのこと 3
帰る準備はひどく手間取った。
いつの間にか一重の目は、泣いて二重になってるし、泊まりがけの移動は慣れているはずなのに、今しがた持っていたものをどこに置いたのか分からず、探しまわることを延々と繰り返した。
早天祈祷会を終え、長崎行の飛行機に乗るために、神戸空港へ急いで向かった。
電車の中で何を考えていたのか、よく覚えていない。
電話をかけると、午後に遺体の引き渡しがあるということなので、それに間に合うように、なんとか帰りつきたいと思った。
電話の向こうの、奥様のTさんは私が帰ってくるというので、安心してくれているようだった。
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朝食を購入するため、神戸空港を歩き回っていたら水が流れ落ちているオブジェがあった。
関西地方は曇で、空は薄暗かった。
次々に泡となって流れ落ちる水が、終わらない涙のように見えた。
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大村空港の「NAGASAKI」という生け垣の文字が見えてきた。
こんなに悲しい気持ちで、長崎に帰ってくることになるとは思わなかった。
長崎やあちこちの教会関係者から連絡が入りはじめていた。
知らせる必要がある人や、葬儀に関わる人に連絡を入れていた。
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高速バスを降りると、すぐにマンションへ向かった。
見慣れた景色、何度ここから送り出してもらったか。
外に面する廊下を急ぎながら、一体どこから飛び降りたのかと思った。
マンションには、Tさんが1人で待機していた。
子供さんがたも、突然のことで、まだあちこちの対応に追われていた。
顔を見るなり抱き合って2人で泣いていた。
でも、私は悲しい気持ち以上に、一連のことが終わるまで、必要なことをしなければ、と思った。
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急いで連絡が付いている人や葬儀の状態、教会との打ち合わせのことを尋ねた。
殆ど家族葬のような形だけれども、教会の都合もあり、前夜式は予定されていないことを知った。
ご遺族と私だけなので、お祈りだけでもして欲しいということだった。
前夜式・葬儀は、前任地で一回だけだったけれども、経験があった。
もしも私で良いのなら、小さいものだけでも出来るから、と言い教会へ向かった。
掲示板に張り出された訃報の張り紙の前で、近所の人が数名寄って話をしていた。
事件があった時の様子や、現場の様子の話をしていた。
しばらく話に加わり、その時の様子を知った。
先生方にご挨拶し、簡単な前夜式のようなものをしてよいかお願いして許可を頂いた。
そして、司式の文言のコピーを頂いた。
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時間はあっという間に過ぎて、警察に向かわなければならない時間になった。
警察で息子さんに合流した。
遠くから、こちらをじっと見ている人がいる、何だかライオンさんに歩き方が似ている?と思ったら息子さんだった。
お父様に似て、律儀で丁寧な方だった。
第三者であったら、丁寧な人と理解するだけだと思うけれども、ライオンさんがどんな人だったかを思えば、どんな心情の人であるか、心なしか察しがついた。
律儀の中に心がある人だった。
挨拶もそこそこに、急いで警察署の中に入った。
マンションを出るときには薄暗かった空が、真っ黒な雲で覆われていた。
関係者通用口を案内され、裏口へ出ると霊柩車が停まっていた。
そこには葬儀社の人として、長崎教会員のMさんがいた。
Mさんは、私と同じ頃に教会に来て、洗礼を受けて、歳は親子ほど違うけれども、
正に兄弟姉妹状態でお互いに切磋琢磨してきた。
教会に来て10年、今教会関係の葬儀はMさんが手がけるようになっていた。
お互いに久しぶりの再開を喜び、束の間に話をした。
Tさんと、息子さんは必要な書類があるから、と警察の人に呼ばれてまた警察署の中に入っていった。
Mさんとひとまず挨拶を終えて、Tさんと息子さんを探して中に入ると、どうやら部屋の中で、事件があった時の説明を受けているようだった。
入っていいのか、悪いのか、ドアの前に立っていたら、警察の人が来て、関係者だと言うと中に入れてくれた。
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現場検証の結果と、事件性の有無の説明をしていた。
息子さんがIさんの肩を抱いて、2人で話を聞いていた。
Iさんは終始うつむき、その時の現場の詳細を事細かに確認をとりながらの説明に必死に耐えているようだった。
警察の人は、心情を察しながら、一つ一つ丁寧に説明を進めていっているようだった。
息子さんは顔を上げて、しっかりと話しを聞いていた。
顔立ちがライオンさんそっくりだった。
医師による遺体の検査結果や、現場検証の結果事件性はないので、解剖は行わないこと、など必要な確認書の手続きが進んでいった。
死因は飛び降りた時の損傷による、「脳挫滅」。
そんな言葉は初めて聞いた。
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最後に身に付けていた衣服は引き渡されず、そのまま棺に収められることとなった。
その他の現場の遺品をお返しします、と警察の人が一つだけ小さなティッシュの塊を机の上に置いた。
中にはマンションの鍵が入っていた。
鍵には、飾りがついていないキーホルダーのリングが2つ付いていた。
ぼんやりキーホルダーを見つめていると、それが見覚えがあるものであることに気がついた。
飾りは取れてしまっているが、わずかに部品が残っている。
私が神学校を卒業して、長崎に帰った時に付けてあげた100均のキーホルダーだった。
さくらんぼの鈴で、鈴が鳴るさくらんぼの部分がとれて、葉っぱの部分だけが残っていた。
ため息が出た。
言ってくれたら、もっときれいな良い物を買ってあげたのに。
最後まで身に付けていた遺品がこれであったのかと思うと、自然に首がうなだれた。
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必要な手続きが終わり、Iさんは霊柩車で斎場へ向かい、私は息子さんの車に載せてもらうことになった。
外は大雨になっていた。
ゲリラ豪雨のような土砂降りで、警察の人が傘を持ってきてくれた。
山間にへばりつくようにして立っている家々。
木々が風雨に吹かれて揺さぶられていた。
土砂降りの、涙雨だった。