心理的空間 -ライオンさんの記念碑35 

悲しみを誰かのせいにするつもりはない。

でも、あの時のことを書いておきたいと思う。

あの日、ライオンさんが亡くなったという連絡を受けた時、私は梅田にいた。

すぐに教会にとんぼ返りして…それからは頭の中が大混乱。もうどうして良いのか分からなかった。

早く、とにかく早く帰らなければと思った。早く駆けつけなければ。Iさん(奥さん)はどうしているのだろう。

世界が遠のいていった。日常が非日常になり、安心して過ごしていた世界は、一遍に何が起こるかわからない世界になった。

でも、帰ろうにも、果たして親の葬儀でも理解を示してくれるか分からない教会に転任になったばかりだった。10数日前に、因縁の休職宣言をしたばかりだ。関係なんて最悪以前に、あるのか無いのかすら分からない。

そうこうしているうちに、母教会の先生方が、大阪の先生方に電話を入れてくれて、何とか帰ることが出来ることになった。

ただし、翌日の早天祈祷会のあとで。

寝れなかった。早く帰りたい。一体今何が起きているのだろう。Iさんは、誰もいないアパートで寝ているのか、それとも一体。早天?そんなことどうでもいい、早く帰りたい。でも、帰れない。

翌朝、早天が終わり次第教会を飛び出た。

日曜日の伝道会は当務になっている。だから…日曜日までには帰るようにということだ。

今日が金曜日だから…。


昼にIさんと合流、午後に遺体引き取り、祭儀場へ移動、夜に前夜式(自分で司式)。

翌朝葬儀、火葬、会食、何だか、このへんから記憶がおかしい。あぁ、そうだ、最後の場所を確認しに行ったんだ(ライオンさんの記念碑⇒「空」)。

夜まで、つかの間に4時間ほど、Iさんと、ご家族と一緒にいて、夜行のバスで梅田に帰った。

梅田についたのが日曜日の朝6時。タクシーで教会まで帰り、8時から路傍伝道に出た。

その間のどこで、伝道会の準備をしたのか覚えてない。


Iさんと一緒に居たかった。悲しみを感じる間もないままに、考えている暇も、感じている暇も無かった。

翌朝の月曜日に吐きそうになりながら、梅田の喫茶店を転々とし記事を書いた。自分を落ち着かせるために。頭の中を整理するために。


暫く眠れない日々が続いた。

その週の早天祈祷会の準備(金曜日の朝4時、冬は3時頃に一人で行う)を寝過ごし、怒られた。

寝れなかった。眠れなかったことに対しても、誰かから同情されるということもなかった。

ここの、教会の先生たちには、そういう配慮や心情というものが無いのだ。


帰ってくれば、変わらないサバイバルの日々だった。

休職宣言をしてから更にあからさまになる、陰湿な嫌がらせ、教団からの沈黙と無視、
同期には言えない。信徒さんになんて、なおさら言えるわけがない。
役目と責任は全うすること。

これから先、どうなるんだろう。
それでも、支えてくれる人たちがいたから、応援してくれる人たちがいたから、乗り切ることが出来た。


教会を去ったら、一遍に色々なタガが外れた。

一体自分の心の中で何がどうなったのか、自分でも良くわからなかった。

毎日鴨川を見ながら、広い空を見ながら、ぼんやりとしていた。

早く仕事を探すこと、TOEFLを突破すること。でも、試験をクリアできるのかも分からない。

それでもなんとか、京都の方々に支えられて、沢山の愛に支えられて、とにかく踏ん張ることが出来た。


でも、バイトと勉強の毎日も、不安定な毎日には変わりなかった。試験に合格しなければ、一体どうなるのか?

頭の中は、現状と将来に対する不安、そして何かが働かなくなってしまった自分に苦しんだ。
教会に行くと、混乱した。

悲しみを表す、精神的な安定感がなかった。

安全な場所が。


単にアメリカに行きたいだけなんじゃないか、いつまでそんなにふさぎ込んでいるのか、私の子供だったらそんな状態を許しはしない、ガツンと注意する、など、色々と言われた。

信仰がないとか、変わらないといけないとか、周りの人に迷惑をかけているとか、

考えもしなかった「アドバイス」に対して、思いもしない思考回路を使わないといけなかったり、自分を守っていたり、もう一体何が何なのか分からなくなった。

加えて、試験は絶望的なほどに成果が出なかった。

でも、励ましもたくさんあった。いつも、たわいない会話を静かに交わせる人もいた。

そういう会話が、楽しかった。

ずっと連絡をくれるクリスチャンではない人たちもいた。

アルバイト先では、知りもしなかった人たちに可愛がってもらえて、元気が出た。

本当に、沢山の人達に感謝している。


私は…結局、感情のエネルギーが、扱える程度に下がるまで、2年半以上かかったということだ。

この間に、もっと早くてを打てば、スムーズに行く策があったのか、分からない。

こちらに来てからの、学習の成果と、聖霊の働きがあって、ようやくこれだから…ほっといたら、まだまだ長引いたのかもしれない。

今で、きっと良かったのだ。

そう、だから、何が言いたいかというと、

もしも、あなたの周りに悩んでいる人がいたら、心理的に安全な空間を作ってあげて下さい。

アドバイスとか、無くても良いんです。むしろ、カウンセリング的には、アドバイスはだめです。

心のどこに辿り着けばよいかということは、本人の心の声が一番良く知っています。

安全が確認できない限り、相手は何も言おうとしません。

もう十分に傷つき苦しんでいるから、もう痛むことが出来る余地が無いということです。

カウンセリングの特別な知識とか無くても出来るんです。

技術がなくても出来ることは以下です。

  • 相手の話を聞く
  • 批判、ジャッジ、アドバイスしない
  • 自分の体験で相手の問題を解決できると思わない(何にもなりません)
  • 一緒にいる

少々技術がいるのは以下です。

  • 相手が手がかりを見つけられる質問をする。
  • 相手が苦しんでいる問題について触れる(上記が出来た上で。相手を直してあげよう、という上から目線なうちは、だめです。)
  • 相手の沈黙と悲しみを十分に受け止める(悲しみや混乱を不信仰に結びつける信仰理解では無理です。相手の苦しみを共にし、耐える、十分な霊的スタミナが必要です。)

沈黙は気まずいものではありません。相手の涙も。


教会は教会員であっても、伝道者であっても、家族が亡くなったり、心理的に大きなショックを経験した時には、その人を十分休ましてあげられる空間、空白を作ってあげて下さい。

親が死んでも働く、関係ない、なんて組織は不健康です。

キリストはラザロの死を悲しみました。キリストは天国の存在を一番良く知っていたでしょう。

地上で肉の命を持つ者たちの苦しみと悲しみを理解しました。

そして、クリスチャンが「死んだ人は天国に行ったのだから、悲しむなんて不信仰だ」なんて言うのは、一体どうしたことなのでしょう。

関係なく伝道しろ?神は休む間もなく働いたのだから?

おかしいですね、神の恵みがありますように。

そういう、「強さ」を強調する信仰は…何か臭います。